ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚40代女、ドクダミ淑子の毎日

料理の写真を見るのが好き

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

私は、ご飯の写真を見るのが好きです。

 

レストランでのリッチで美しい料理の写真を見るのも好きだし、料理研究家が撮った見るからに美味しそうでマネしたくなるような料理を見るのも好きだし、フォローしている一般市民が作っている「ザ・家庭のごはん」みたいな写真も好きだし、スーパーで買った総菜と缶チューハイとかの写真も好き。

あと、テレビはもうほとんど観られていないけれども、「沸騰ワード」のタサン志麻さんの古民家再生と料理だけは結構見ている。

 

唯一苦手なのがはあちゅうさんの食への冒涜みたいなぐちゃぐちゃに握りつぶしたお菓子の写真くらいかもしれない。

あれはもう不器用とか時間がないとかを色々通り越して、美的センスと神経を疑う。

美的センスが壊滅的なのであれがオシャレだと思っているのか、もしくはネタ切れ気味のドケチだから「撮ったけれども映えないのでお蔵入り」という思考ができないのどちらかなんだけど、どっちでも怖い。

・・・と気を抜くとはあちゅうさんの悪口になってしまうので、食事の写真に戻って。

 

「食」には物語があると思う。

 

 

食事の写真に至るまでに

物語、というのをもう少し噛み砕いていくと。

 

まず、その人の料理に対するスタンスみたいなものがあって。

そこから、その日の予定や気分・冷蔵庫にある食材・家族からのリクエスト・天気・その他諸々色々な要素が加味されて、最終的に「今日のご飯」として写真になってネットの海に公開されてくるのだ。

だから、1枚の写真を見ると色々なことが見えてくる気がする。

そして、それらに「その人の生活」を感じて、楽しくなってしまう。

 

偏食の子へのメニューや「限界飯」も物語性に富んでいる。

そして、「手抜きっすよ、手抜き」と言いながらも、食べてもらう相手への配慮と愛情があふれている。

とにかく、「良い」のだ。

 

私も私で、自分の大して代わり映えのない食事を撮り続けているんだけど、見返すと細かいことを思い出してくる。

「ああ、この日は子どもが甘えてきて何も出来なかったな」とか、「この日は子どものリクエストを受けて作ったな」とか、「あの頃はキャベツの千切りも食べたのに」とか・・・

そういう物語が、一人ひとりの食事にあるし、たくさん感じたい。

 

 

料理本も好きです

物語といえば、私は料理関連のコミックエッセイとか、料理本とか、料理エッセイとかも結構好きだったりする。

 

ストーリーがある、という点ではコレが結構好きだったな(友達に薦めてあげてしまった)。

 


 

これは、仕事が終わって疲れた〜から始まって、その日のことを振り返りながら、季節に合わせてとても簡単なご飯を作って、そして食べるというストーリーがたくさんあるコミックエッセイ。

先ほど書いたような「物語」があって、その結果のご飯がある。

 

レシピが載っている本を読んでもメニューを真似するってことは滅多にないので、買う意味ある?と思うことも正直なくはない。

けれども、やっぱり新しい世界を垣間見られる、料理関連の本は楽しいのだ。

 

 

ひっそり「いいね」を押しに行くから

そういう意味では、相互フォローの方の毎日のご飯写真が大好物なんだけど、最近少し見られるご飯写真が減ってきている気がする。

「じゃあ違うアカウントをフォローすればいいじゃん」というとそれもまた違う問題な気がする。

ネットの中だけのお付き合いだけど、なんとな〜くどんな人だか分かっている人の作るご飯だから、素敵なんじゃないか・・・とも思うのだ。

 

・・・というわけで、私は目についたご飯写真にいいねを押しまくっているので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

写真は日高屋のディスプレイ

 

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