ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚40代女、ドクダミ淑子の毎日

優しさは目に見えないし言葉にならないことがある


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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

お風呂場で、私がうっかり風呂掃除用のブラシを落としてしまいました。

結構な高さから落としたので、大きな音がして、耳がキィーンとなった。

 

ああ、やっちゃったな・・・と普段から手元がゆるい私は思ったのですが、4歳の子どもにこう言われました。

 

「だいじょうぶ?いたくない?」

 

そんなセリフが我が子から出てきたのは初めてだったので、私は驚いてこう言いました。

「ありがとう!そんなことが言えるようになったなんて、優しい子になったね」

 

・・・と言ってから、しばらく考えて言い直しました。

 

「いや、優しくなったんじゃなくて、あなたは前から優しい子だったよね」

 

 

優しさは目に見えない

「優しさ」というのは、「そこにあるもの」なんだけど、「言葉にする」ことでそれが可視化されるというか、現れたように見えるものなんだな、と思った。

そして私はその「可視化された優しさ」を見て、優しくなったと言ってしまったなぁ・・・と、変なところでモヤモヤしてしまった。

 

言葉になったのは、きっと他の子や先生がそう言っていたから、「誰かが転んだりモノを落とした時にはこう言う」がインプットされたのだと思う。

そうやって、周りの人に対して優しさを伝えられるテクニックが身についたのはよろしいことなんだけど、私がそこで我が子の優しさを測るのはいかがなものか・・・と思ったのだ。

 

仮にうちの子が言葉を発せられなかったら?

我が子の優しさとか思いやりの気持ちを感じられないのだろうか、と。

いや別に、そんなに難しいことを考えずに、「言葉で表せられるようになってよかったね!」で済ませばいい問題なのだろうけど、逆に「大丈夫?痛くない?」がサラッと出すぎて驚いてしまったのだ。

 

我ながら面倒臭いことを書いているなぁ、と思う。

 

 

優しさは目に見えないから

優しさっていうのは目に見えるものではない。

どんなに優しい気持ちを持っていても、それが現れないと相手には伝わらない。

だから、生きる上では、「優しい言葉」として声に出すことで伝わるようになる。

 

泣いている中で心配そうに見ているのと、「大丈夫?」とすぐに言えるのだと、どうしても後者のほうが「優しい人」に見えるのだろう。

 

だから、子どもに対しては「こういう時にはこういう風に言うんだよ」という、「優しさが見える様になる言葉」はどんどん教えていきたいし、どんどんインプットしてほしいと思う。

 

でも、私はそれとは別で、子どもの「言葉には見えない優しさ」みたいなものもしっかり見られるようになりたいな・・・なんて思った。

 

言葉を覚えている段階だからこその、「今それ言っちゃう?」もあるんだけれども、それも楽しみつつ、周りのお友達と楽しくやっていけるように、教えられる部分は教えてあげたいな・・・と思う。

まぁ、今の段階でも保育園で学んで来ることも多くて、今回みたいにハッとさせられるんだけどね。

 

 

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