こんにちは、ドクダミ淑子です。
長く生きていると、「やりたいこと」というのが曖昧になってきているな、と感じることがある。
私はこう見えても色々なことをしていて、仕事もそうだし、趣味や余暇もあれこれ動いていたりする。
でも、「それって私のやりたいことなのか?」となると、なんだかぼんやりしてしまう。
・・・という、就活生か!?みたいな悩みに陥っている。
沼の副作用
多分それは、最近ミステリー小説にハマりまくって隙間時間のほとんどをそれに費やしているからだと思う。
これを書いている今は、綾辻行人氏の「館シリーズ」という一連のシリーズ物にドハマリしていて、なんだかんだで2週間ちょっとで4冊読んだ。
生活に支障をきたすから入手ペースは気をつけていて、今はちょっとお休みの時期にしている。
・・・んだけれども、その「ハマっているものを休んでいる」状態だから、余計なことを考えてしまうのだ。
「そもそも、そのミステリ小説読書というのも、私が本当にやりたいことなのだろうか?」なんてさ、考えている暇があったら1冊読みたいよね!
次に読むのはこれ!と決まっているからか、書店に行っても「これ読んでみたいな」という気持ちがわかなかった。
それもなんだか切ない。
我が家の本棚で『カフネ』がずっと控えているんだけれども、それを読む気にすらならないのが切ない。
これは沼の副作用だ。
それ以外受け入れない、それだけしかいらない、みたいな。
「やりたいこと」が明確になりすぎると、それ以外が「やりたくないこと」に分類されてしまう。
「果たしてそこまで私を狂わせるやりたいこととは?それって本当にやりたいことなの?」と謎の自問自答が始まる。
これは沼の副作用だ。
ジグソーパズルまで始める
なんだか脳みそが変な方向に覚醒しているのだろう。
最近、セリアでジグソーパズルを購入した。

「心を落ち着かせる」と書かれていて、サイズは102ピース、写真のL版サイズくらいだった。
久しぶりにやったら、なるほどこれは集中出来るからいいかもしれない。
・・・というのと、ピースとピースがカチッとハマった瞬間がたまらない。
そうですね・・・ミステリー小説と同じなんですよね・・・
(ふりだしに戻る)
迷っている暇があったら
やっぱりねぇ、「これって私のやりたいことなのか?」なんて言うのは、暇だから考えてしまう余計なことなんだな、と思う。
そんなことを考えている暇があったら、とにかくやれ!と思うし、やっているうちに向き不向きとか分かってくるからな。
そういう感じで、できる限りの力でガーッと色々楽しむのが1番だなと思うし、やる前にうだうだするよりも、ちょっとやってから判断したほうが良いんだろうな、と思った。
「やりたいことは何か?」の答えはやってみないと分からないし、やって楽しくなったり、ネガティブな言い方だと「しんどくない」と感じるものは、やればいいのだ!と色々考えた結果たどり着いたのでした。
・・・というわけで、『時計館の殺人』よ、早く届け。
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