ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚40代女、ドクダミ淑子の毎日

もしも死を思うほど切羽詰まっているのならば

 




こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

時折SNSなどで、本当に困っている人のつぶやきがおすすめに表示されたりします。

 

おすすめに表示されて、そのままフォローしちゃったりするんだけれども。

 

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「自分の親は頼れない」「福祉は頼れない」「何はダメだと断られてしまった」「どうしよう」と書きながら、「死ぬしかないのかな」と。

 

私はそういうのを見るたびに思うのです。

本当にやばかったら、「助けて欲しい」と大声で言えばいいのに。

役所に行って相談ではなく、その場で泣き叫べばいいのに。

警察でも何でも呼べばいいのに。

 

 

ギリギリのバランスで立っているよりも

本当に困っている人って、「自分はとても困っている」と声に出せているのだろうか。

助けを呼べているのだろうか。

 

別に、行政じゃなくても誰でもよくて、道行く人でもいいし、隣の人でもいいし、とにかく助けを呼べばいいのになと思ってしまう。

 

それに、「死ぬしかない」みたいな過酷な状況になってしまったら、狂ってしまえばいいのにと思う。

人間としての尊厳とか、自分の責任でとか、そういうことをちゃんと考えるほど、助けを呼べなくなる。

その結果、自分で自分の首を絞めてしまっているんじゃないか。

もう自分の苦しみを苦しみと理解できないくらいおかしくなってしまえば、それはそれで楽になるんじゃないかなと思ったりもする。

 

それは、私みたいな半分狂っていて、なおかつ図々しい人間だから、そういう発想になるのかもしれない。

困って困って困っている人間ほど、紙一重で超えてしまいそうなラインで踏ん張って「ちゃんとしよう」と努力をしているのだろうから、ここが難しいなと思う。

 

でも、そうやってギリギリのラインで誰にも頼らず生きていくことに、何の価値があるのだろうと思ったりもする。

ギリギリのバランスで何とか踏ん張って立っているよりも、もう寝転がったり誰かに支えてもらってでも座ったほうが良いと思うのだ。

 

 

「死」を口に出してしまう時は

特に私がそういうことを思うのは、表では頑張っているとかちゃんとしているという風に見せて、裏では「死にたい」とか「死ぬしかないのかな」とかつぶやいたり、子どもに対して「死ね」「一緒に死のう」と言ったりしている人に対してだ。

 

その人には日常のことになってしまっているのかもしれないけれども、「死にたい」と声に出すのは、異常だと思う。

 

異常な精神でありながらも、表向きはちゃんとしているなんていうことは、何の意味があるんだろうか。

「自分は異常だ」そう思ってちゃんと助けを呼べばいいのに、と私は思う。

 

表向きは正常を装いつつも、家庭という密室でいきなり死に対しての思いが爆発してしまうことが、色々な悲劇のきっかけなんじゃないか?

もしくは、自分で目を背けていたものが、ある日ふっと身近に見えてしまう、そんなこともあるかもしれない。

 

とにかく「死にたい」というのは異常なことなのだ。

 

 

非常事態には助けを呼ぶべきだと思う

異常な状態を、何とか踏ん張って頑張っていけば、数年後に笑い話になるかもしれない。

でも、笑い話にならないような最悪の結末になってしまうこともあるかもしれない。

 

そういう異常事態を、どうか自分一人で抱え込んで乗り越えようとか思わないでほしい。

 

正攻法で手続きを踏もうにもどうにもならないなら、泣き叫んででも助けを呼んでほしい。

仮に子どもが児童相談所や養護施設に引き取られたとしても、命が助かっているなら良いじゃないか。

それこそ数年後に笑い話になればいい。

 

・・・というのを、冒頭のシングルマザー(別居中)を見ていて思うのです。

 

 

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