こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんが、「育児ノート」なるものの開発に着手したというストーリーズを見ました。
そして私は震えました。
子どもに見せる育児ノートとは
現段階で検討している内容は、こんな感じ。
- ママの妊娠中の記録(妊娠前と出産前の体重、つわりや体の変化のことなど)
- 身長体重などの母子手帳的な数字データ
- 成長のキロク*1
- はじめて記念日
- ○○君・○○ちゃんの名言(名言とその背景)
これを子どもが成長した時にプレゼントとな・・・ってゾワっと来たのは私だけでしょうか?
なんか、「あなたを育てていた時期の私の気持ち、全部知って、全部受け取って!」みたいな重さがもう、私には無理って思う。
自分の母からそういうノートを渡されたら、ちょっとげんなりすると思うんですよね。
母親の心のケア要員になれと?
かくいう私の母も、わりと「私のコト全部分かって欲しい!」「私のつらい気持ち分かって!」みたいなところがあって、娘としての私はそういう母親の心のケア要員になるのが面倒だった。
最近は私も大人になったので、「まぁコーヒーとケーキ付なら色々話を聞いてあげるのもいいか」と思っているけれども。
そんな気持ちの娘だった私は、はあちゅうさんの「子育てのつらさ(大)や楽しさ(小)のすべてを、大きくなった我が子に渡したい」という気持ちが、「うわぁ・・・」と思ってしまったのです。
子どもは親の気持ちなんてわからなくていい
私はね、思うんですよ。
子どもは親の気持ちなんてわからなくていいんです。
かつて娘だった私は、親の気持ちなんてわかろうともしなかった。
でも、大人になったら彼女彼のつらさとか大変さとか、実はすごかった点*2とか、そういうものに気づく。
それで初めて「親ってすごかったな」とか、「感謝しなきゃ」って自分から思えば、もうそれでいいんじゃないかなと思う。
はあちゅうさんの育児ノートは、そういうのじゃなくて、「私の!大変さや偉大さを!このノートを見て感じろ!」みたいな圧があるから怖いんだよな・・・
なんせ「キロク」だし・・・
親は子どもの気持ちを想像した方がいいけどね
はあちゅうさんは、まだ自分が親になりきれておらず、「私!私!私!」って感じなのだろう。
先ほど「子どもは親の気持ちなんてわからなくていい」と書いたけれども、その逆、親については「親は子どもの気持ちを知ろうと努力すべき」だとは思う。
まぁ、それもめっちゃ難しいんですけどね。
特に幼児を育てている今って、彼ら彼女らの少ない語彙で訴えてくることをどこまで理解するか、理解した上でどういう行動をし、どういう伝え方をするか・・・っていうのが結構大事だと思うんですよね。
「可愛い名言」もまぁそうなんだけど、「この子、上手く言えなくて可愛い~」だけじゃなくて、楽しい時も困った時も、言葉をきちんと受け止めた方が良いと思うんですよね。
そういうコミュニケーションが、後々に生きてくる気がする。
私も幼児しか育てていないからその先のことはよくわからないけれども。
「育ててあげている」という気持ちは捨てようぜ
この育児ノートをあげる行為、とにかく気持ち悪いなと思ってしまったのですが、もう少し心の綺麗な人が読んだら、ほんわかほっこり話になるのだろうか?
とにかく、「ほかならぬ私がァ!あなたをォ!ここまでェ!育てたんだ・・・!」っていうのが怖い。
きっと「育ててあげている」っていう「私はギブしている」っていう気持ちがあるんだろうな。
今はまだ良いとしても、その「恩着せがましさ」が、「ババアうぜぇ!」とならないことをお祈りしておりますね・・・
こちらもどうぞ