ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

結末は、わかっていたけど

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

祖母が亡くなりました。

 

それは少し前から半ば決定事項みたいなものだったので、そういう結末になったことに対して驚くほど何も感じていない自分がいる。

「まぁ、そうなるよね」という気持ち。

 

別にそれは私が冷たい人間だからとかそういう話ではなくて、もう、この入院期間に何度も何度も会いに行って、その様子を見て、自分の心の中での整理がついてしまったからだ。

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危ないと言われて土日の早朝に飛んで行った時もあれば、会社を休んで様子を見に行った時もあった。

何度も何度も顔を合わせながら、看護師さんは「良くなってきたらプリンを食べてもらおう」とか前向きなことを言ってくれるのを聞きそうはならないだろうなと思いつつ、「どこまで延命治療をするか」と言う話を主治医とし、親族とも「今後について」を話し合い・・・と、実務面も精神面も少しずつ準備をしていった。

 

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祖母との最後の思い出は

平日午前に会社を休んで様子を見に行ったことがあったんだけれども、その日は祖母が元気だった。

元気と言っても、時々起きて何かを言ったと思ったら寝ている・・・とかそういう感じだけれども。

先日に引き続きテレビ(やっぱり日テレ)が付けっぱなしにしていたので、私はうとうとしている祖母の相手をしたり、テレビを見ながら話しかけたりしていた。

祖母が家にいた時、こうやってテレビを見ながらダラダラ話しをしていたこともあったな・・・なんて思いながら、11時過ぎになったら急に覚醒時間が長くなり「お腹がすいた」みたいなそぶりをしていた。

 

「久しぶりに食事を摂ってみましょうか」みたいな流れになって、私が食事介助をした。

祖母は11時くらいからずっとお腹が空いたと言い続けていたので、いざ食べる時間になったら、驚くほどバクバク食べた。

5倍がゆと、刻んだ食事。

魚は少しパサつくようだったから、お粥に混ぜて食べさせたりして、年齢は全然違うのに我が子の離乳食を思い出した。

結局久しぶり過ぎることもあってか、半分も食べられなかったけれども、食事を摂れる状態まで良くなったことは喜ばしかった。

 

私の中では、食事を食べてもらった出来事で、「ああ、これが最後のコミュニケーションかもしれないな」と思った。

帰る時に「あああああー!」と言いながら寂しがっていた。

もちろん「また来るね」と言って帰ったけれども、これが最後かもしれないと言う気持ちもあった。

そして、それがちゃんと起き上がっている祖母との最後のやりとりになった。

 

 

涙はまだ出ない

そんな感じで、もうずっと心の準備をしてきたから、涙はまだ出ていない。

 

ただ、今の祖母と向き合う勇気は出ない。

母方の祖母だったので、私の母が病院に行き、看護師さんと一緒に身の周りを整えたり死に化粧をしたりしたと聞いた。

その辺に付きそうかどうか?みたいな流れになったけれども、私は子どもがいるからという理由で断ったし、母もそんなに追及してこなかった。

でも、やっぱり勇気が出なかったな。

 

「自分の母の死化粧をする」って、どういう気持ちなんだろうか?

きっとまだ先になるけれども、結婚式の時に口紅を塗ってくれた母の唇に、今度は私が紅を引く時には、どんな気持ちになるのだろうか。

 

葬儀は少し先なんだけれども、そこでは思いっきり泣いてしまうと思う。

祖母は花が好きな人でした。