こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんが、「人間断ち」をしているというのを小耳に挟みました。
息子さんが手足口病とマイコプラズマ肺炎の両方を発症し、ベトナム旅行帰国後から看病の日々が始まり、そのせいで色々な予定をキャンセルせざるを得なくなったという話のようです。
人と会わないことで自分のことを深く考えられるようになった・・・ってアナタ、いつも自分のことばかり考えているように見えたけど、それは気のせいなのでしょうか。
ただ、彼女は自分のことというか、「相手の目に自分はどう写っているだろうか?」とか、「相手は私をどのランクの人間だと思っているのだろうか?」とか、そういうことばかり気にしてしまうタイプなのだろうと思う。
そういう「他人から見た自分の印象」とかを一切考えなくていい環境は、彼女にとってストレスが少なくて、「自分が見た自分だけに集中できる」のだろう。
結局SNSでまた他人の目を憑依させちゃいそうだけど。
他人と会うことがストレスにならないタイプです
そんな話を読んでいて、「私はどうなんだろう?」と考えた。
私は仕事柄もあって、人と会うことについてあまりストレスに感じない。
・・・というか、ストレスに感じていたらやっていけないわ。
会社にもたくさんの人がいるし、営業の仕事で毎日色々な人と会うし。
最近はWeb商談が増えたけど、画面の中のクライアントと会話をし、相手の要望を引き出して行くという仕事は、変わらない。
時々、アポ前に「緊張します」とガチなトーンで訴えてくる後輩はいるけれども、ここ最近の私はそんなに緊張することはほとんど無い。
というか、最近、緊張した記憶がない。
昔から、他人と会うことや他人と一緒にいることにあまりストレスを感じないタイプだった。
リゾートバイト、運転免許の合宿、1週間くらいの旅行、海外の友人の家に居候、友人宅に泊まらせてもらう・・・例を挙げればきりがないほどだけど、どれもこれもあまりストレスを感じたことはなかった。
もしかしたら相手にはストレスを与えていたかもしれないけど。
そうやって思い返してみても、たぶん私は他人からの見え方をあまり気にしない、無神経人間なんだろうなと思う。
無神経だからストレスを感じないし、他人(と言っても特に気のおけない友人)に対しては本当に素の自分と同じ自分でいる。
友人との会話に「有益」を求めないから
あとは、私は友人との会話に「有益かどうか」というのは全く求めていない。
相手に求めないし、自分もそういう観点で話をしない。
この前は「なぜガチャガチャをやると、同じものばかり出て、何度やっても本命は出ないのか?おかげで〇〇〇〇円使っちまったぜ」という話を延々としていて、話は「1番くじ」「ポケモンメザスタ&フレンダ」まで展開された。
有益かと言うと別にそんなことはなくて、ガチャにハマる時のヤバい思考回路について熱く語っただけだ。
話をしていたうちの1人は、そういうのをやらない堅実なタイプだったのでただ苦笑いをしていた。
私は、そういうくだらない会話でいいと思う。
はあちゅうさんは以前「長く遊んでくれるオモチャについての情報収集」とか言っていた記憶があるけど、そんな風に、有益な情報収集みたいな観点で話ししたことはない。
「うちの子、これが好き!」「へぇ、うちは今〇〇ブーム!」くらいで、お互いの子の好きをぶつけ合って終わる。
だって、同い年でも子どもの趣味は人それぞれだからな。
とにかく、友人と話すのに「有益な情報かどうか」は意識しないし、相手へも望まない。
「ネタにできそうか」を考えない
そんなんだから、私と遊んでくれる人も、私の持っている情報とやらに価値を感じている人はいないと思う。
そういう「有益な情報」を求める人は私と話そうなんて思わないだろうし。
というか、はあちゅうさんの周りの人たちもそうなんじゃないかな?
好きなブランドの話も、子どもの教育の話も、コスメの話も、別に「有益な情報だから」で話すのではなく、ただ単に好きだからとか興味があるからなんじゃないかな?
そうやって「自分の好きなことの話」をしているだけなのに、そこに「有益かどうか」みたいなことを考えちゃうから楽しくなくなっちゃうんじゃないかな。
まぁ、相手が興味ない話を楽しいからといって延々としている人は嫌われるから、やっぱりある程度趣味が合うとか話す量のバランスみたいなのは大切なんだけど。
あとは、相手の話を「ブログやインスタのネタに出来るかどうか」とかも考えないかな。
そういうことばかり考えてしまうと、またつまらないことばかりに気を取られてしまうだろうから。
会って、楽しく過ごせればそれで十分。
・・・このくらいの軽い気持ちでいた方が、わざわざ人間断ちなんてしなくてものびのび生きていけると思うのよね。
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