こんにちは、ドクダミ淑子です。
読書はぼちぼちしているんだけど、「必要だから読む本」「感想文を書かなきゃいけないから読む本」「誰かに勧められたとか貸してもらった(押し付けられたとも言う)から読む本*1」などなど、あまり楽しくない読書って言うのも存在するんですね、私の場合。
んで、そんな中「楽しいとか楽しくないとかじゃなく、ただ頭を空っぽにして何かを読みたい・・・」となったので、積読になっていたこれを引っ張り出しました。
どんな内容なの?
公式サイトの紹介を見てみましょう。
いいさ、いいさ、いまくらい好きなものを食べるがいいさ。
驚愕と共感の声がどしどし寄せられた食エッセイ、シリーズ第2弾!ハンニバル・レクター博士に憧れ、炊飯器を擁護し、要らぬ助言に噛みつき、よく腹を下す。そんな偏屈でめんどくさい食いしん坊作家の自由な日常は、否応なくコロナ禍に侵食されていく。それでも――。あなたとわたしの欲望を肯定する、ひねくれものの力強い応援歌。人気イラストレーター・北澤平祐氏の挿画も多数収録。
私が買ったのはシリーズ2作目だったんだけれども、これはWeb連載で人気の食にまつわるエッセイです。
千早茜さんの本は、『さんかく』だけ読んでいて、今後もっといろんな作品に触れていきたいなと思っているところ。
そんな彼女の小説ではなくエッセイが店頭に並んでいたのでち買っていたのでした。
小説家ってどういうタイプなんだろう
私は仕事柄、職業と性格の関連を考えたりすることはわりと好きだったりする。
作家とか小説家ってどんな感じなんだろう?という問の1つの答えになるような読書体験でした。
千早さんは、ものすごく、ものすごく敏感な人。
だって、和え物は誰が何をどういう衛生環境で和えたかわからないから食べられないとか、脂身のあの食感が嫌だとか、とにかく全てにおいてこだわりと感覚が強すぎるのです。
しかも、その不快感とか疑問とかをすべて言葉にできちゃうから、ある種の人からはケチつけられたりするらしい。
でもその気持ちもわかる。
こんなに繊細で生きていけるのか?って思うもん、私も。
でも、だからこそ、ああいう人の感情や感覚の機知というか、小さな揺らぎみたいなものをきっちりと言語に出来るのだろうなとも思った。
アーティストのタイプって大きくは2つに分けられると思っていて。
1つは千早さんみたいな、ある意味生きづらいだろうなとも思うような過敏さがあって、それを文字や物語に落とし込める人。
そしてもう1つは、自分の内側と、その外側の世界とを上手く繋げて表現できる人。
炊飯器はなんだか妖怪っぽい。妖怪とは現象だ。
脂身大好きな友人は分厚い豚の脂身を「さくさくする」と嬉しげに語るが、それを聞くだけでぞくぞくする。ぐにぐにもさくさくも嫌だ。なので、トンカツを食べている間は緊張状態が続き、肉に没頭できない。私にとって肉とは脂身以外の部分を指す。真の肉好きじゃない?知らんがな。
なるほど世の中にはこういう感覚の持ち主がいるのか・・・と、鈍感な私は思ってしまいました。
コロナ禍初期を思い出す
この、『しつこく わるい食べもの」は、連載の途中でコロナ禍になってしまいました。
未知のウイルスが出てきて、その全貌がわからない状態で「行動制限」「飲食店の営業自粛」「外出を控えて」「ソーシャルディスタンス」「誰がウイルスを持っているかわからない」「○○で集団感染が起こった」とあれこれやっている時。
今はもう遠い昔のようになってしまったけれども、まだたったの4年半前の出来事を、当時書いていたエッセイを読んで思い出しました。
そういえば、手越君は最近イッテQ!に復帰しましたね。
もともと不祥事が多かった手越さんは<中略>最後のひと押しになってしまったのは、コロナ禍の緊急事態宣言下での飲み会発覚でした。
「一生許せない」手越祐也『イッテQ』復帰も“メンバー酷評”暴露本に怒り収まらぬファンの猛烈拒否「もう見るのやめる」の声まで
飲み会に行くことが不祥事になるような世の中だったなぁ・・・と懐かしく思うと共に、そう思えば今のように公園やらフードコートやらで楽しく過ごせるのは幸せなことだなと思ったりした。
「わるい食べもの」シリーズは、これからも「頭をボーっとさせたい」という時に、読んでいこうかな・・・
作者の鋭い感性にビビッと来てしまい、あまりボーっとできないけど。
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*1:取引先の社長とかから勧められる事が多い。