ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

【本感想】この部屋から東京タワーは永遠に見えない 若さゆえのアレを描く

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

先日、書店で平置きされていたこちらの本を読みました。

 

 

どんな内容なの?

公式サイトによると、こんな内容です。

 

東京に来なかったほうが幸せだった?
Twitterで凄まじい反響を呼んだ、虚無と諦念のショートストーリー集。

「3年4組のみんな、高校卒業おめでとう。最後に先生から話をします。大型チェーン店と閉塞感のほかに何もない国道沿いのこの街を捨てて東京に出て、早稲田大学の教育学部からメーカーに入って、僻地の工場勤務でうつになって、かつて唾を吐きかけたこの街に逃げるように戻ってきた先生の、あまりに惨めな人生の話をします。」(「3年4組のみんなへ」より)

「『30までお互い独身だったら結婚しよw』。三田のさくら水産での何てことのない飲み会で彼が言ったその言葉は、勢いで入れたタトゥーみたいに、恥ずかしいことに今でも私の心にへばりついています。今日は、彼と、彼の奥さんと、二人の3歳の娘の新居である流山おおたかの森に向かっています。」(「30まで独身だったら結婚しよ」より)

「私、カッパ見たことあるんですよ。それも二回。本当ですよ。桃を持って橋を渡ると出るんです。地元で一回、あと麻布十番で。本当ですよ。川面から、顔をニュッと目のところまで突き出して、その目で、東京にしがみつくために嘘をつき、人を騙す私を、何も言わず、でも責めるようにじっと見るんですよ。」(「カッパを見たことがあるんです」より)

14万イイネに達したツイートの改題「3年4組のみんなへ」をはじめ、書き下ろしを含む22の「Twitter文学」を収録。

 

 

他人事とは思えない

色々な人が出てきて、語っては消え、語っては消えを繰り返すこの小説。

22つの短編小説が波状攻撃を仕掛けてくる。

 

地方から東京の私立大学に出てきて、パッとしないまま大手企業に就職して病んで休職する人。

東京に、私立育ちのお坊ちゃまやお嬢様に、憧れてそのまま港区女子になってしまう人。

清澄白河のマンションに住み、元セフレの男性の嫁と子のいる流山おおたかの森へ行く女性。

東京をバカにしながら新丸子の家に戻る人。

圧倒的努力で慶應に受かるが、「地頭の悪さ」ゆえに結局落ちこぼれ、でもその落ちこぼれを自覚できない(周りも指摘しない)人。

「東京に出たのに」「慶應(早稲田)に入ったのに」、その後の人生が上手く行かない人々。

 

「あるある」のオンパレード。

 

私はこれを読んでいて、他人事ではないなという気持ちになりました。

一人ひとりに私の中にもあるようなエッセンスを感じる。

プライドの高さ、自分を見つめられない弱さ、でもそんな自分を見捨てたくないという自己愛、人と比べて安心したくなる愚かさ・・・

 

もう「そういうこと」は10年以上前に乗り越えてきているので、今は何とも思わなかったけれども、20代前半くらいの私が読んだら自分のことが書かれているような気がして恥ずかしさで全身が痒くなっていた気がする。

 

 

コンプレックスはどうやって解消されるのか?

この小説に出てくる人は、皆、若い。

若いというのは年齢もそうだけれども、「若さゆえの自分への期待」みたいなものが強く、誰もが「上」に行けると思っているところが。

東京に行けば、いい大学に行けば、いい会社に入れれば・・・「上」に行ける、と。

 

でもこの小説の中で、東京は、そういう人たちをことごとく打ち砕く。

生まれ持ってした「上の人」を超えることなどできず、どんなに努力しても、住む場所が変わっても、自分は自分のままなのだ・・・ということを突きつけてくる。

そして30歳という、20歳の時よりも人生の「節目」となるようなタイミングを迎える(越していることもある)。

 

先ほど、「自分は自分のままなのだ」と書いたけれども、それは決して悪いことではない。

ただ、「もっと上に行けると思っていたのに」と組み合わせると絶望するというだけで。

引用した公式サイトでの紹介文には「諦念」と書いてあったけれども、「自分は自分のままなのだ」と諦めることで気持ちが楽になるということもあると思うし、実際にそうやって、心が落ち着いた人もいた。

『3年4組のみんなへ』の先生もそうだ。

 

強すぎる自尊心、自分は人と違うという自意識過剰さ、周りを馬鹿にすることで自分を守ろうとしている弱さ・・・その根幹には「コンプレックス」みたいなものがあると思う。

コンプレックスと向き合った先に「諦念」があって、それは「殻の中の自分と向き合う」ということでもある。

作中でも随所にそういう作者からのメッセージが随所に書かれていて、それはさながら石ころの中のシーグラスのようだった。*1

 

現在進行形で、今にも崩れそうな自分のプライドを保とうと必死にあがいている若い人にはこの小説は酷に感じるかもしれない。

でも、その中で作者からのポジティブなメッセージを是非受け取って欲しいなと思った。

 

 

世界を、固有名詞で表現する

この小説は、とにかく「固有名詞で含みを持たせる」というものだった。

トレンディ小説みたいな感じ?

 

たとえば「赤羽橋に近い東麻布」。

このワードで「家賃は安く済ませたいので、麻布ど真ん中ではない場所に住むけれども港区麻布アドレスは欲しい」と察せられるかどうかみたいなところで、この小説が楽しめるかどうかは変わってくる。*2

 

大学の学部学科のヒエラルキーとかもね。

「商学部」はちょっとアホっぽいとかね、そんなの今となってはどうでもいいけれども、学生時代にはひしひしと感じていたな、懐かしいな・・・と思いながら読んだ。

 

だから、この小説は読んで面白いと思う人は結構限られるんじゃないかなと思った。

東京の地名を聞いただけで「ああ、こういう場所だよね」と想像できる人。

東京の有名私立大学の「あの」雰囲気がわかる人。

 

・・・とか書いたけれども、私だって京都にそこまで詳しくなくても森見登美彦は楽しく読めたから、まぁ大丈夫なのか。

 

私はリアルタイムで麻布競馬場氏のこのツイートを見ていなかったんだけれども、ものすごく話題になったということは、きっとこういう、プライドの高さゆえの悶々とした感情というのは、多くの人が味わうものなのだろう。

現在進行形で自分の中の理想と現実に向き合っている人や、「それ」を乗り越えてきた人に是非読んで欲しいと思いました。

 

 

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www.dokudamiyoshiko.com

*1:最初は「都会のドブ川に落ちたダイヤの指輪」と書いたがあまりにも拾えなさそうなのでやめた。

*2:ただ、「わっしょい」「だるま」だけで早稲田を語ろうとするのは甘いと思いました。