こんにちは、ドクダミ淑子です。
少し前まで義母と過ごしていて、「なんでこの人との会話が成り立たないのかな?」って考えていたんですね。
その答えがなんとなく、わかってきました。
それは、「自分がこうだと思い込んだら、そこから変えることができないのではないか?」です。
カレーパン事件
たとえば、こんなことがありました。
アンパンマンミュージアムのお土産に、カレーパンマンのパンを買ってきたんですよ。
すると義母はびっくり仰天。
「カレーパン!?こんなものを買ってきてお孫ちゃんは食べられるん?」
夫が答えます。
「子ども用だから辛くないで」
その次にどう言ったか、想像できますかね?
「いやだって、カレーパンやろ?カレーパンなんて食べさせて大丈夫なん?」
あのぉ・・・今の話、聞いてました?
その後も義母は「辛いやろ!大丈夫なん?」と騒いでいました。
そう、義母の中ではカレーパン=辛いと決まっていて、夫がいくら「辛くないカレーパンもある」と言ってもそこから上書きは出来ないんですよね。
怖すぎ!
今までどう生きてきたのかわからんわ・・・
そりゃ出社しているかどうか100回聞くわな、と妙に納得してしまった。
くらはま事件
同じような話でくらはま事件というのもありました。
「夕飯どこ行くん?」と夫が聞きました。
「くら寿司やで、予約取った」と義母。
「ん?くら寿司なんてあったっけ?」
はい、その流れ、さっき私と義母でしていましたよ。
「はま寿司ですね」
「あ、そやった!はま寿司!」
そして2分後、また別の家族がやってきました。
「夕飯どこ行くん?」
当然のように義母はこう言いました。
「くら寿司やで」
「くら寿司?あったっけ?」
「え、〇〇にあるで」
ズコー!
もうフォローを入れるのも面倒になりました。
この、記憶の書き換えできなさ加減、やばくね?
一度「くら寿司」ってインプットされたら最後、もう書き換えられないの。
そして間違えているとも思わずに、自信満々で言っちゃうの。
たぶん義父が来てもまた「くら」「ん?くら?」「はま!(義父母以外の人間)」の流れをやっていたと思う。
元々なのか、ボケてるのか
・・・とここまで買いたけれども、過去のブログを見返したら同じようなことを書いていたわ。
とにかく、思い込みが激しいんですわ。
そして一度「自分が正しい」と思ったらそれを疑うことがない。
以前ブログを書いた時に「若年性の認知症じゃないか」というコメントを多数もらったけども、そうかもしれんし、元からそういう人間だったのかもしれない。
それは少し前まで赤の他人だった私にはわからない。
ただ私は今のところ、「元々そういう人間だったのだろう」と見ている。
あなたのことを責めているのですが
こんなこともあった。
親戚の子が、義母のクリームでイタズラをしてしまった。
その子は叱られて、「もうやらないでね」となった。
んで、義母は先ほどと同じようにまた手の届く場所にそれを置いたようで、翌日、またその子がクリームの蓋を開けてしまったのを目撃して、ママが慌てていた。
周りの人間は「なんで同じ場所に置くねん!」と義母を叱るものの、義母は反論。
「あの子はイタズラしたくて開けてるんちゃうで!中を見て匂いを嗅ぎたいねん」
「いや、そういう問題じゃない!なんで触れる場所に置いておくんだって話や!」
「何言うてんの、あんな小さい子を責めて、かわいそうやん。イタズラしたくてやってるちゃうで・・・」
伝わらなさが、すごい!
義母は自分自身の行いを責められているとはつゆとも思わず、大人達がよってたかって小さい子を叱っていると思っていたのです。
いや、その読解力のなさがすごいよ!
ヒートアップする夫実家メンバーの中でぼそりと言ってしまいました。
「誰も〇〇ちゃんのことは言ってないですよ。お義母さんがまたイタズラされる場所にわざわざ置いていることを責めてるんです」
「あ・・・そうなん?」
そうなん?じゃねぇ!
何だかんだでやっと伝わったので、やっとこさ義母はクリームを目と手の届かない場所にしまいました。
え?こんなんで今までどうやって生きてきたん?
「自分は悪くない」「自分は正しい」の末路
今回の帰省では義母を含めたお出かけは最小限に抑えたかつ、自由にフラフラどこか行ってしまう義母でも安心のコンパクトな施設にしたので、そこまでトラブルはなかったけれども、要所要所でこういう「だーかーらーぁ!」っていうのがあって、やっぱり疲れた。
きっとこの人は、自分の考えはいつも正しい、そこから変わることなどない、と思って今まで生きてきたのだろう。
カレーパンは辛いし、あそこにあるのはくら寿司(正しくははま寿司)だし、自分が責められるようなことは何一つなく、あるとしたら周りが意地悪だからだ・・・と。
こういうババア、マジでどうしようもないわ。
自分がこういう人にならないように、私は「自分が間違える可能性は大いにある」「自分の認識が必ずしも正しいとは限らない」ということを意識して生きていこうと思ったのでした。
今シーズンの義母の話はこれにて終了。
次回は年末年始・・・の前に関東来襲がありそうなので、義母の話を読みたい方は寒くなるまでお待ち下さい。
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