こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅう先生が、「人は育つ環境が全て」みたいな発言をしていたそうですね。
背景としてはこんな感じでしょうか。
- 息子さんの教育移住(マレーシア)を検討中
- 検討しながら自分の育った環境(帰国子女で慶應附属校、慶応卒で電通入退社、炎上芸人)を思い出した
- 私はこの環境で育ったから私になったのだ!と確信した
- ついでに週7保育園と批判されているのでそれの言い訳にもなりそうだと思った
- 海外ではナニー文化もあるから、私の育児丸投げは悪くないと思った
まぁそんな感じで、とにかく環境!環境!となったのでしょう。
その「環境」っていうのに「家庭環境」が含まれていないようなのが謎で仕方がないですが・・・
この、「人を作るのは環境なのか問題」は、3歳児を育てる私にとっても、大きく考えさせられる問題なのです。
教育環境について考えているので
ここ最近、子どもの教育環境について考えている。・・・というか去年の転園先探しの時から結構悩んでいた。
どういう環境にいたら将来子どもが「幸せ」になれるのだろうか?
能力を伸ばすっていうのも大事だとは思うものの、それだけではなく、できるだけ楽しく毎日過ごしてもらいたい。
興味を持ったことはどんどん実践できる環境が望ましいけれども、とはいえどんなジャンルのことも全部満遍なく実践できるというのは難しい。
その中で、どういう特色がある園を選んだらいいだろうか。
・・・とか考えていたんだけれども、そもそも「人が育つのは環境要因だけ」なのか?という疑問にもぶつかってしまう。
たしかに環境というのは大きいけれども、「環境さえ整えればあとは勝手に成長する」というのもでもないし、そもそも「万人にとっていい環境」なんてものもない。
プレッシャーがある中で伸びる子もいるし、のびのびした雰囲気の中で伸びる子もいる。
競争が好きな子も嫌いな子もいる。
だから、「環境さえ良ければ」というのは違うなとは思う。
そんな感じで悩んでいるんだけれども、我らがはあちゅうさんは、「環境が全て派」のようですね。
これはある種の人間の悪い癖で、出身大学&職歴で人をカテゴライズしているのよ。
— ドクダミ淑子🐤 (@dokudamiyoshiko) July 29, 2024
たとえば「塾高出身、新卒で外資、3年で独立」でだいたいどんな人間かって想像できるっちゃできるんだが、人間ってそれだけじゃないからさ…というのを丸っきり無視する無神経さの表れなのよ。 pic.twitter.com/d87Gr2vY9q
「慶應SFC卒でリクルートって書けばどういう人だかわかるでしょ?え?わからないの?」とおっしゃっていました。
これって、思いっきり「人格は学歴と職歴で決まる」って言っているんですよね。
すごいな・・・
それなりのお嬢(自称)で慶應SFC卒で電通入ったけれども炎上芸人していますって人がその発言をするのがすごい。
カテゴライズできないやん!
人生を変えるのは「環境」だけなのか?
ここでも書いたけれども、私は人生を変えていくのは「アイテム」よりも「イベント」だと思っていて。
もっと言うと、「どういう人と出会ったか」というのもあると思う。
・・・って書くとそれは「環境じゃないか」ってなるのかもしれないけれども、人との出会いのルートなんて、本当に色々あって、どういうルートでも似たような人に出会うことはできるんだろうなと思う。
少し話はそれるけれども、私は昔、池袋の乙女ロードのお買い物についていったことがあって、その時に腐女子2名から「淑子は東京の私立女子校に入っていたら確実にヲタクになっていた」と言われたことがあった。
その時は、「置かれた環境で人はどう育つかってあるんだな」と思っていたんだけれども、今考えれば、東京の女子校に入らなくてもオタクになる人はいるのだ。
決して「環境」だけが人を作るのではなく、むしろ偶然の出会いと、その出会いを自分がどのくらい衝撃と感じるかどうかの方が大きいのではないかと思う。
環境だけじゃないと思うのよ
話は戻って。人は環境さえ整っていれば成長するのか?というと、私はやっぱり、NOと言いたい。
「階級」「ヒエラルキー」「上下」みたいなものを意識している「東京の上流階級」を自称している人達。
彼らの考える「王道ルート」ではなくても、楽しく人生を送れるんだ!と私は思いたいなぁ・・・
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