こんにちは、ドクダミ淑子です。
日々、男性差別だ女性差別だと色々な人が騒いでいるのを拝見するSNS。
Xだけかと思ったら、キラキラリア充系SNSと言われているInstagramのスレッズなんかでもなかなかのドロドロ具合でですね。
私はインスタしかやっていないんですけれども、「スレッズやってみません?他の人こんなこと書いていますけれども・・・」みたいなものがもう地獄。
- 子連れトイレで嫌な思いをした
- 子連れ外出で嫌なことを言われた
- 旦那が育児に協力してくれない
おいおいおい、キラキラSNSでハーフバースデー(キラキラ☆)とかやっている裏で結局それですか??
私の友人の西野ホリエモンDaigo好きでYouTube見ていますみたいなことを言っていた友人ももれなくインスタでは子どもの顔出し+スレッズで長文愚痴でしたわ!
何?育児中ママってそんなにセンシティブ?
そうだねセンシティブだわ!
まぁそんな感じなんだけれども、私は思うのです。
世の中には一定数ヤベー奴がいて、その人にあったら基本動作は「逃げる」なんですよ。
その中で「変えたい」って思うのはやめたほうが良いの。
ヤベー奴は一定数いるので
たしかポテトサラダの時かなんかに書いた記憶があるけれども、世の中にはヤベー奴っていうのは一定数存在している。
その人が自分(達)に対して不快な言葉を発してきたり、嫌がらせをしてきたりすることもあるんですけれども、それは「レアケースに遭ってしまった」と思ってキレイサッパリ忘れたほうが良い。
Xで訴えようとも、スレッズで愚痴ろうとも、我々の常識を超えたヤベー奴っていうのはいなくならないし、ヤベー奴が改心して「まとも」になるケースっていうのはほぼゼロなんですわ。
だったら、自衛した方がいいと思うんですよね。
近づかないとか、場合によっては引っ越したりして遠ざかるとか、そういう人がいる場所・時間帯にウロウロしないとか。
立ち向かおうとか、変わってもらおうとか思うだけ無駄なんですわ。
ヤベー奴は滅びない
でも、世の中的には「みんなで協力して、ヤベー奴をやっつけようぜ!」みたいになっていますよね。
私はこれが怖いなと思って。
数の力を持ってすれば、そういう人が変わる・または姿を潜めると思っているのかもしれないけれども、多分結果はそうならない。
そうならないから現在進行系で困っているんですよ。
そして年を取ればちょっとヤバい感じになる人が出てくるから、供給もゼロにならないの。
教育がどうのとか言う意見もあるかもしれないけれども、どんなに教育がちゃんとしていても、ヤベー奴は一定数発生するのよ。
それは人類のバグというか、一定数起こり得るエラーというか、2割の働かないアリみたいなもんで。
家族がヤベー奴だったら?
じゃあ、自分の家族がヤベー奴だったらどうするのか?というと、これも対応は一緒だと思っています。
原則は、逃げる。
もしくは、諦める。
たとえ家族だろうとも、他人にとやかく言われて人が簡単に変わるかというとそうじゃないんですよ、残念ながら。
簡単に変わるとしたら、もうとっくに変わっているわけで。
だから、家族がヤベー奴となったら、逃げるか、もう諦めて「この人はこういう人だ」と思って上手くやっていくしかないと思います。
私の家族だってまともかというとそうではなく、結構ヤバい感じだし、その血を引いている自分だってまともかというと別にそうではないと思っている。
だから、「変わってもらおう」じゃなくて、「そういう人だと思って上手くやる」が最善だと思っている。
「結婚したら変わる」「子どもが生まれたら変わる」「2人目が生まれたら変わる」「3人目が生まれたら変わる」・・・全部、大体変わらないから!
変わったら奇跡!くらいの気持ちで接しておいたほうが絶望しなくて済むと思うんですよね。
もしも簡単に人は変わるならば、「旦那が自分の夕飯食べた後の皿を洗わない」とかそのレベルのことですら変えられない人がいるはずないのだ(実際は結構いる)。
強い正義感が怖い
まぁそんな感じで、他人に期待をせずに生きているので、昨今の「みんなで力を合わせれば」「何度も伝えれば」人は変わると思っているのが怖く感じてしまう。
いや、人はそんなに変わらないから!
正義感なのか、希望なのかよくわからんけれども、とにかくそこまで他人に期待をしちゃいけないと思うんですよね。
しかも道端やネットの片隅のヤベー奴とかに。
そういう変な人に立ち向かっていくことが好きそうな人を見かけたりもするけれども、どうか危ない目に合わないように、適度な範囲で逃げることも大事だよ・・・と私は思うのです。
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