ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

言葉って難しい

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

子どもから発せられる言葉の中で、すごく難しいなと思うことがあります。

子どもが何の気なしに、悪気なく発言したことが、変な意味に捉えられてしまうということがあるんじゃないかという時。

「変な意味に捉えられる」といっても、我々の社会の中では行間に意味を含んでしまう言葉を、その行間の存在を知らずに発言してしまうとか、そういう現象。

 

 

マンションの上の階と下の階

たとえば、我が家はマンションの上の方の階なんだけれども、エレベーターで下に降りている時に下の階から乗ってくる人に向かって、「○階に住んでいる人!△階に住んでいるXXです」と自己紹介したりするんですね。

どの階に住んでいるっていうのは「事実」なわけじゃないですか。

だから本人は事実を話しているんだと思うんですけれども、それが「上の階」「下の階」っていうので「上下関係」とか捉えられちゃう可能性もあるんですよね。

 

そうすると、本人にその気がゼロだとしても「マウンティング」って思われちゃうかもしれない。

今は子どもだからそこまで考えて発言しているわけじゃないと相手も理解してくれていると思うけれども、これが微妙な年齢になったら・・・と悩んでしまうのだ。

 

そして私はどういうリアクションをすれば嫌味にならないんだろうか・・・と考えてしまい、なんだか余計なことを考えているような気もしてならない。

 

そういうことは結構あって、たとえばヤマハの教室とかでも、先生やお友だちが言い間違えをしたり、違う曲を流した時とかに「せんせい、まちがった!」とか言うんですよね。

まぁ間違ったのは事実なんだけど、そこまで嬉しそうに言うことでもなかろうて・・・と思いつつも、「そうだね、間違っているね。でもそんな大きな声で何度も言うと先生も嫌な気持ちになるよ」と注意すると、ささやき声で「せんせい、まちがった!」ってもう一度言う。

何、それ?

理解してやってる?

性格悪くない?

 

 

問題はどこにあるのか?

先ほど書いた例は2つあって、1つは「マウンティングと思われるようなことを言ってしまう」、もう1つは「人の失敗を指摘してしまう」で、考える点は別々なのでそれぞれ考えていくことにしましょう。

 

1つ目の、「マウンティングと思われるようなことを言ってしまう問題」。

これはさぁ・・・もうそういう細かい世の中の仕組みというかニュアンスというか、そういうものが理解出来る年齢になるまではどうしようもないのかなと思う。

だって、そもそも上の階に住んでいるからといって下の階の人よりもどうこう、っていうのがおかしいんですもの。

タワマン戦争とか、そういうのはレディコミの中だけのもので、普段私の生きている世界ではそういうことはないからね。

そこに「意味」とか「ストーリー」とかをつけて、「〜の人は〜に違いない」みたいなのを勝手に考えている人がいるだけで。

・・・っていうのは上層階に住んでいるから感じないのか?

もしかして私って無神経?

 

そしてもう1つの、「人の失敗を表立って指摘してしまう」の件について。

こちらは今の時点でもしっかり伝えていかなければいけないことだなと思う。

「失敗はしてもいい。またチャレンジすればいい。失敗してもそんなに気にしなくていい」ということと、あとは「とはいえ失敗すると悔しいから、それを大きな声で言うのは相手の気持ちを考えるとよくない」という2点だ。

こちらについても子どもはただ単に「事実を言っているだけ」と考えているかもしれない。

でも、言われた方からすれば、それは「事実」以上のものがある。

 

失敗して悲しい気持ちになっているのに、そこからダメ押しをするのはよろしくない。

 

そしてそうやって「失敗した!」と他人の失敗を指摘し相手が悲しんでいる様子を見ていると、自分に対しても「失敗したくない」という気持ちが強くなって、そこからそもそも挑戦することを避けるようになってしまうんじゃないかな・・・と思う。

 

最近、塗り絵をしていて「はみださないように」とすごく意識しているし言葉に出したりもしているんだけれども、それがエスカレートして「〇〇の、はみ出してる!」とか言うのはよろしくないな・・・と思っている。

だから私は「はみ出さないのは素敵だけど、はみ出してもいいんだよ。楽しく塗るのが1番大事だよ。失敗してもまたチャレンジすればいいんだよ」と伝えている。

 

 

言葉って難しい

色々考えると、本当に言葉って難しいなぁと感じる。

事実だけど言ってはいけない、言葉の間にニュアンスを含む、言えば言うほど自分自身を縛ってしまうものもある・・・そうやって考えていくと、我々はそういう微妙な言葉の問題を乗り越え(ているかどうかは不明だけれども少なくとも日常生活付が送れる程度で)いってきているということなのだ。

 

そう考えるとすごいことなのかもしれない。

 

でも、時々「我々の世界ではこういう表現はこういうニュアンスを含むのが当然」みたいなのの外からあれこれ事件が起こっているのを見かける。

それは「常識」を知らないほうが悪いかと言うとそうでもない。

お互いの常識がズレているというだけなのだと思うのだ。

 

私は自分の生活で忙しいから、ネットでギャンギャン騒いでいるおじさんに言葉のニュアンスを伝えてあげるなんて善行はしないんだけれども、せめて自分の子には「言葉が含む煩わしさと面白さ」を伝えていこうかなと思っている。

 

 

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