こんにちは、ドクダミ淑子です。
子どもはずっと、「自分は3歳、ママは4歳、パパは5歳」だと思っています。
ちゃんと「ママは39歳だよ」と正直に言っても、「ぶぶー、せいかいは、4さいです!」と訂正される。
それが可愛くて、外でもデカい声で年齢をバンバン言っている。
夫も自分の年齢を言っているけれども、「ぶぶー」で、「じゃあ・・・5歳?」って聞くと「ぴぽぴぽぴぽぽーん!」とチャイムを鳴らしてくれる。
その声が、めちゃくちゃ可愛い。
夫には、「パパとママは年上ということを認識しているじゃん」と謎のフォローを入れている。
39歳になりました
ところで、私は39歳になった。
誕生日は非公開なんだけれども、ブログ内での(仮)の誕生日は、私は5/15、子どもは12/15にしている。
なぜ15日なのかというと、なんとなくだけど。
これをもとにカウントするようにしているので、とりあえず私は39歳なのだ。
39歳になった当日、私の実家家族のグループLINEと、古くからのグループLINEと、あと何人かの友人から「おめでとう」という連絡がきた。
「30代ラストイヤー!楽しもう!」という友人の言葉、「もう39歳なのね」という母の言葉を見ても、正直あまり実感がわかなかった。
でも、今これを書きながら思うけれども、30代だろうと40代だろうと、大して自分の精神は変わらず、このままダラダラと年齢の数字だけ上がっていくような気がする。
でも、それは別に悪いことではなく、地続きの人生の中で少しずつ、少しずつ、緩やかに上ったり下ったりしながら歩き続けて、振り返った時に長い道が見えるようなもので、「地に足がついている」というのはそういうことを言うものだと思うから。
私の30代を総括するとしたら、それは40歳になった瞬間ではないと思う。
そんなに早く「振り返り」なんて出来ない。
きっと私が自分の30代を言語化できるのはアラフィフくらいになった時で、その時点の自分と30代の自分を比べて「私の30代はこうだったかもしれない」と言えるくらいなのかなと思う。
子どもの成長、大人の成長
今、ちょうど子どもを育てているからものすごく思うんだけれども、子どもの成長は恐ろしいほどに早い。
先日まで「じゅうく、じゅうきゅう、にじゅう」とカウントしていて、それが可愛いなと思っていたけれども、いつの間にか「じゅうく、にじゅう」になっていた。
昨日に「まだ難しいかな?」と思っていたものが、今日には出来るようになっているなんてシーンも沢山見る。
でも、大人の場合はそんなに簡単には成長できないのだ。
そのギャップに焦ってなのか、突然「英語を勉強し始めました!」みたいな人もいる。
それはそれで何歳になっても学ぶ姿勢があってよいことだなと思うけれども、「成長実感を伴うことがしたい」というのは動機としてどうなんだろう?と思う。
子どもほどのスピードで成長出来ることなんてあまりないし、「ゼロから何かをやることが好きだから、常にゼロを探している」というのは何か本末転倒なのではないかと思ってしまう。
若い頃はそれでもいいのかもしれないけれども、それで年を重ねてしまうとスキルも経験もなく、「新しい環境」「新しい仕事」を探す人になってしまう。
焦らず、ゆっくりとした歩みでも、確実に自分は成長しているんだと思えるかどうか。
「大人の人生」というものは、そういうものなんじゃないかな・・・と思う。*1
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*1:テクノロジーの革新が進む昨今では、別に同じ会社にい続けても仕事の内容はどんどん変わってくと思う。新卒から同じ会社にいるけれども、仕事の内容はめちゃくちゃ変わった。