ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

積読がなくならない

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

本が、あふれています。

 

ここ数年、「積読がゼロの状態」というのがない。

「積読を無くそう」と思って読んでみるんだけど、読んでいる先から新しい本を買ってしまい、気づいたらプラスマイナスゼロか、むしろプラスになっていたりもする。

 

この前は、対象年齢を過ぎた子どもの本を持ち寄り本棚に寄付しに行ったら、その帰りに文庫本を2冊借りてきてしまった。

 

『紙の月』(角田光代)と『アッコちゃんの時代』(林真理子)。

どっちも読みたいと思っていたけど買うのもなぁ・・・とためらっていたので、見つけた時はパッと手が動いてしまった。

 

こういう一期一会は大切にしなければならない、次に来たときにはほぼないからな、回転率が意外と高いのだ。

・・・とかやっていたら、収拾がつかなくなってしまう。

 

 

積読はワクワクストック

ただ、積読がゼロの状態がいいかというと、そうでもないと思う。

 

積読が家にあるということは、常に「まだ遊んでいないおもちゃがある」みたいなもので、楽しめるアイテムが有るということなんだから。

おやつのストックと同じで「食べたい時にいつでも食べられるものがある」というのはワクワクにも、精神の安定にもつながる。

 

逆に言うと、私のように常に積読がある人間の積読がゼロになってしまうと、生きる気力がなくなってしまうかもしれない。

まぁこれは言い訳で、多分ゼロになったらまた買いに行んだけどね。

 

 

家じまいと蔵書問題

そんな私だけど、そろそろ整理しなければいけないな、と思う本棚がある。

 

実家の本棚だ。

 

嫁には行ったけれども、「まぁいつでも帰れるからな」「いずれはこっち(自宅)に持って来たい」と思っている本達を置いてあるんだけど、それをいよいよ整理しなければいけないという状態になってきている。

 

実家が家じまいをする可能性も出てきたからだ。

 

置いてあるとは書いたけれども、決して嫁入り前の30年分の本が溜まっているわけではない。

「何年かしたら読み返すかもしれないな」というものだけを厳選して、デスクの下(が本棚収納スペースになっている)と、カラーボックス1つに収納しているのだ。

 

「でも、あなたずっと読んでないじゃない?」

 

そう言われればそうなんだけど。

 

確かに、いつまでも実家に置いておいても仕方がないのかもしれない。

そろそろ、「読み終わった積読」というポジションの蔵書も、片付けなければいけないかもな。

20代に読んだ本が30代、40代でまたワクワク読めるかもわからないし。

 

 

本にも「旬」がある

そうなのだ。

時を経て面白みが増すものもあるかもしれないけれども、青春の1ページだから楽しく読めたものもあるのかもしれない。

『深夜特急』とか。

 

もっと遡ると、「ズッコケ3人組」とか「わかったさん」「こまったさん」シリーズとか、「クレヨン王国」とか「江戸川乱歩少年探偵団シリーズ」とか・・・

 

「読み返したい」と思っているものはたくさんあるんだけれども、実際は、積読の方、つまり新たな物語を読みたいっていう気持ちの方が大きくて、結局手元にあったとしても読み返さないのかもしれないな・・・

・・・と思うと、いつまでも子供部屋に置いておいても仕方がないのかもしれない。

 

ただその一方で、「旬」を過ぎたと思っていたけれども、大人になって読み返したら面白くなったみたいな本もあるかもしれないから「無駄」ではない。

そのへんが、なかなか難しい。

 

本を無限において置けるようなお屋敷があればよいのだけれども、我が家はコンパクトなマンションなのだ。

 

 

本との付き合い方

・・・というわけで、私は近々、青春の本棚と向き合うことになる。

その中からせめて5冊、いや10冊くらいは持ち帰りたいと思うけれども、自宅のスペースを考えると、厳しい決断をしなければいけないことになるのだろうな・・・と思う。

 

けれども、「昔読んだ本をもう一度読む積読」も増えるとなると、ちょっとワクワクしてくる。

 

読み返したいなと思うものの1つは、谷崎潤一郎。

この装丁も好き。

 

・・・これは確実に図書館にあると思うけれども、そんなツッコミはご容赦ください。

 

 

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