ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

【本感想】母性 受け継がれない愛がしんどい

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

「なんか、よくわからないけれども気になる」という時は、出来るだけその感情を見逃さないようにしています。

自分が気にしていることに無意識のうちにセンサーがピン!と張っていることの表れかもしれないから。

 

・・・というわけで、書店でそういう気持ちになったこちらを読みました。

 

 

どんな内容なの?

公式サイトによると、こんな内容です。

 

女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。母親は言葉を詰まらせる。「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」。世間は騒ぐ。これは事故か、自殺か。……遡ること十一年前の台風の日、彼女たちを包んだ幸福は、突如奪い去られていた。母の手記と娘の回想が交錯し、浮かび上がる真相。これは事故か、それとも――。圧倒的に新しい、「母と娘」を巡る物語(ミステリー)。

 

同じ出来事に対して、母の記憶や思いと、娘のそれが交互に出てくるんだけれども、食い違う部分があったり、お互いが想像する相手の気持ちが本人の気持ちと違っていたりして、なかなか読んでいると・・・つらい。

 

 

愛情を注いだ先には

何がつらいかというと、あふれんばかりの愛情を注いだ娘が、その愛情を自分の子にそそげないところ。

母になっても、「私はお母さんの娘よ」と言っていて、その目が自分が産んだ娘に向いていないのだ。

 

すごく愛情深い人がいたとして、その人が一生懸命愛情を誘いで育てた娘が子を産んだら、普通に考えると、子に対して同じくらい愛情を注ぐだろうと思うじゃないですか。

でも、そうじゃないんですよね。

親になったのにも関わらず、「お母さんの娘」の立場から離れられなくて、母からもらった愛情を自分の娘に与えるということができない・・・すごく怖いなと思いながら読んでいた。

 

「いつまでも自分が愛を与えてもらう立場だと思っていて、愛するということに思考が切り替わらない子持ち」の考えること、そしてその母から愛されていないことに気づきながらも愛してほしいと必死に足掻く娘・・・それぞれの考えが交互に出てくる。

しんどさのミルクレープ(いいこと言っている風の意味不明)。

 

 

愛能う限り

私はどちらかというと、母からの愛情というのをあまり感じていなかった(もしくは感じられていなかった)立場の娘なんだけれども、母の記憶の中ではそんなこともなさそうなのだ。

そう考えると、もしかしたら自分の子にも同じようにな思いを抱かせてしまう可能性もあるのかもしれないなと思った。

 

こちらがこんなに愛を注いでいると思っていても、その愛は自分自身へ注がれているだけで子どもに対して注がれているものではないというパターンもあるのかもしれない。

「子供を愛している自分が好き」みたいな。

 

「愛能う限り」という、大袈裟な言葉で、自分は母性にあふれた人間だと思い込みたい・・・という驕りみたいなものを、筆者は様々な形で叩きつけてくる。

 

思春期の娘がいる母親が読んだら、考えすぎて夜も眠れなくなってしまうかもしれない。

 

 

ミステリーとしても面白い

ちなみにこの本はミステリー的な要素もあって、最後の最後まで「一体この人は誰なのだろう?」という部分がある。


最後はハッピーエンドなんだけど、何となく釈然としない、モヤモヤが残る。

 

解説を読んだら、「眠っている人が見ている幻かもしれない」と書かれていて、ああ、そうかもしれないと思うようなものが残されている。

 

・・・というわけで、私にしては珍しく、2周目を読んでいるところです。

 

 

こちらもどうぞ

www.dokudamiyoshiko.com