こんにちは、ドクダミ淑子です。
少し前に、大人なのにケンカをしたという話を書きました。
内容は書いていないし詳しく書くこともないんだけれども、その人とは結局会った時にお互いが謝り(私から切り出した)、これからは気をつけようという話になりました。
それで一旦決着はついたのですが、私の中ではやっぱりちょっとモヤモヤが残っていました。
ただ、ずっと考え続けていて「きっと私は嫉妬していたんだな」ということにたどり着きました。
「嫉妬している」は認めにくい
自分が誰かに嫉妬している。
それってなかなか、自分で気づくのは難しいし、気づいたとしても自分の中で認めることが難しいなと思いました。
私は時短勤務で働いているんだけれども、やっぱりフルタイムでバリバリ働く人や、旦那さんと病児対応も協力しながら働いていますという人が羨ましいのだと思います。
私だって時間があったら、ああいうことやこういうことをやりたいなと思ったりするし、もっと働きたいなと思っているんだけれども、実際には時間がないからできることは限られている。
子育てをしながら私よりも長時間働けている人が正直羨ましくなったりすることがあるんだな。
そうか、嫉妬か・・・と思ったら、私の中の何かが幾分すっきりしました。
無い物ねだりなのかもしれない
相手側も、もしかしたら私と自分を比べていたのかもしれません。
なぜなら、ケンカの理由というのが、私が彼女に「子育てを怠っている」と指摘したと思われたことだったからです(もちろん、そんなことは言ってないけど)。
彼女のことは分かりませんが、もしかしたらお互いがお互いの環境に嫉妬していたのかもしれないな、自分ができていないことに対してコンプレックスを感じていたのかもしれないな・・・なんて思ったりもした。
彼女の最近の悩みは、子どもの習い事の宿題に付き合いきれないから習い事を辞めたいということで・・・彼女も彼女で、時間の使い方に並んでいるのかもしれません。
仮にそうだとしたら、お互いが無い物ねだりで、お互いのことに嫉妬していたのかもしれないな。
彼女にそんなことは聞かないから、答えはわからないけど。
嫉妬する気持ちも認めることにする
私は常々、「自分の環境は自分で作る」と言っているし、自分の今の働き方に満足していると思っていた。
でも、今回のことで、やっぱり他の人が羨ましいとか、別の働き方もできるんじゃないかと思っている面もあるということに気づいた。
でも、それは(相手を傷つける言動をしなければ)悪いことじゃない。
自分が本当は何を求めていて、何がしたいのか、というのを、普段蓋をしている感情と向き合う良い機会なんじゃないか。
時にはこうやってモヤモヤすることも、きっと自分のためになるんだろうな・・・と思ったのでした。
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