ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

拙速が求められる世の中で


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

「拙速」というものが求められる世の中になっているなぁ・・・と思う、今日この頃。

 

これは朝井リョウさんの『スター』を読んでいても思ったんだけれども、どちらかというと「つたなくてもまずはスピード感をもって世に出したもん勝ち」みたいな。

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特に紙媒体と違って、ネットの場合は何か間違いがあったらすぐに修正できるし場合によっては削除できるというのも大きいのかもしれない。

 

採用の仕事をしていてもそれを感じることがある。

お客様に「とにかくまずはシンプルでもいいから掲載をしてください、掲載をしないことには何も始まりませんので。あとから付け足せばいいんです」みたいなことを言っていて、私も時代に合わせて「拙速」を提案しているんだな・・・なんて思った。

 

 

昔は「ミスがあったら訂正できない」世界にいた

そんな私はその昔に「校正」のアルバイトをしていたことがあった。

紙媒体、しかも書籍の校正なので、誤字脱字は命取りだ。

著者は意外と誤字脱字の多い業界の人たちで、しかも当時は原稿用紙での入稿も多かったので、印刷された紙の中から必死に誤字脱字を探し、「~と言う」「~という」みたいな、文字の「ゆらぎ」がないかどうかを探し、同じページに「冷たいアイスコーヒー」が11回書かれていないかどうかを探し、著者が気を悪くしないように、「~と書いた方がより良いと思うのですが、いかがでしょうか?」みたいな赤字を書く・・・とやっていた。

そして出来上がった原稿を、2駅先くらいの出版社に持って行き、新しい原稿をもらって会社に帰るまでが仕事だった。

昭和みたいな内容だけど、もちろん平成の話だ。

 

そんなバイトをしていたので、誤字を探すのは結構うまかったりする。

パッとみて「違和感」みたいなものを感じたところを読むと誤字がある、みたいな特殊能力もある。

 

・・・自分のブログには誤字ばかりだけど。

 

そう、私はあまり「誤字を出さない」ということにはあまり意識を集中させなくなってしまった。

「言う」と「いう」もあまり意識しないし、「~です」と「~だ」も同じブログの中でごちゃごちゃに書く。

だいたい、ですます調で始めるんだけれども、文章がノッてくると言い切りの口調になったり、「じゃん」「だよね」みたいな投げやりな書き方に変わったりする。

まぁそれも、自分の中の「味」ということにしておいている。

 

 

時間をかけていいものを作る人には尊敬の念を

「拙速」が求められありがたがられる時代なので、逆に「時間をかけてモノを作る」ということができる人がすごいなと思う。

この時代であっても「巧遅」な芸術を生み出そうとする人たちを、我々凡人は守ったり支えたりしなければいけないと思うのだ。

 

スピード感をもって、とにかく量を!

書いていくうちに上達して行くから!

・・・そんなこんなで、もうすぐ6周年になるブログを書いているけど、6年かけて1つの作品を仕上げる人には胆力では敵わないなぁ・・・と私は思う。

 

 

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