ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

うっかり人間なので、「できるはずだ」「わかるはずだ」を信用していない


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

時々、「パートナー(主に夫婦)との共同生活がうまくいかい」「家事分担がうまくいかない」「相手に任せられない」などの言葉を見かけて、なんだかなぁと思う、今日このごろ。

 

例えば、先日うっかり見てしまった漫画は、こんな内容でした。

 

  • そのお家では シンクを洗う用のスポンジを使い古したものにしていて、お皿を洗うスポンジと分けている。
  • それが何かのタイミングで混ざってしまっていて、その犯人は旦那さんだった。
  • シンク用のスポンジは同じ色なんだけど穴が開いていて ボロボロだからわかるだろう
  • 相手に聞いたら「あー間違えてた?」くらいの軽いリアクションでモヤモヤ

 

また別のタイミングですが、これは多分節約家のテクみたいな記事で、こんなのも見かけました。

 

  • トイレの流すボタンの「大」と「小」を子供が押し間違えるので、毎回用を足すたびにトイレにダッシュして、「小」のボタンを押してあげている

 

両方とも見ていて、「あのさ・・・もうちょっと”間違えないような仕組み作り”というのを考えたりしないのかしら?」なんて思ってしまいました。

 

スポンジがいくらボロボロになっているといえども、同じ色でだいたい同じ位置(シンクの右と左とかだった気がする)で置いておくからこそ、間違えるのだと思うのです。

トイレの「大」と「小」も、記号もわかりにくいし、漢字が読めなかったらわからないよね。

 

 

うっかり人間なので、自分を信用していない

私自身が度を越したうっかり人間なので、基本的に人の「わかるはずだ」というものを信用しない。

人は間違えるものだし、いつもうっかりしているものだと思っている。

 

だから、汚いもの用のスポンジにはデカデカと「シンク用」と書くし、そもそも同じ場所に保管しないしできるだけ同じ色にはしない。

トイレの「流す(小)」には随分前からアンパンマンのシールを貼ってあるし、子どもがお風呂の空調(暖房やら冷房やら換気やら)でイタズラをしていた時期には、「停止」ボタンにもドキンちゃんのシールを貼っていた。

 

なぜドキンちゃんかというと、単純に私の好みなだけですけど。

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保育園でも、「アレルギー児用」「トイレ用」などとデカデカと書かれたタオルが干してあるのを見るし、学生時代にバイトしていた飲食店でも、用途に応じてダスターの色は変えていたし、置き場だって処理方法だって全部違った。

それはきっと、「ちゃんと書いておかなければ、色を変えなければ人は間違えるものなのだ」という理由からそうなっているのだと思う。

 

 

「きっと、わかってくれるはずだ」を無くした方がスムーズになる

まぁ私がそんな感じでうっかりだから、我が家のそういう「間違えそうなもの」は出来るだけその、間違えそうな芽を摘んでおいている。

それも、「使用したらひっくり返す」とか、微妙にわかりにくいものではなく、誰がどう見てもわかるようにしている。

基本は、タオルやスポンジなら油性ペンで書く。

あと、汚れたものを処理する場合は、できるだけ使い捨てのものを使う。

保育園の準備は、出来るまではジップ付きの袋にマスキングテープで必要なものを1つずつ書いて貼っていた。

まぁもう少しちゃんとしていると、テプラで貼ったりするのかもしれないけれども、その雑さも私らしいっちゃ私らしいと思って気にしないようにしている。

 

とにかく、「自分は絶対に忘れない」とか、「相手はわかってくれるはずだ」とか思わないことが大事なのだ。

自分はやらねばならぬことを忘れるし、相手は伝えなければだいたい察してくれないしわかってくれない。

 

そう思っているから、何度もリマインドをしたりカレンダーに書いたり、玄関先に貼った電子メモパッドには粗大ごみの日など忘れてはいけないことを書いておく。

・・・とやっていて、我が家はなんとなく上手く回っているし、こういう家事関連でケンカすることもあまりない。

 

「期待しない」「わかってくれないと思う」と書くと、なんか悲しく感じる人もいるかもしれないけれども、結果的にそっちの方が平和に終わるなぁ・・・と、今日も雑巾に格下げされたタオルに油性ペンでバツと「ゾウキン」と大きく書いた。

 

 

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