こんにちは、ドクダミ淑子です。
時々、Twitterで、「子供が行方不明になりました。どうしたらいいですか?」みたいな書き込みを見かける。
私はそういうのを見ると、おいおい待てよ・・・と思ってしまう。
ネットの中の人は頼りになるけれども
たしかに、ネットの中の人達は時々頼りになることがあるよ?
すぐに答えてくれるし、中には経験者やちゃんとした大人だっている。
でも、あなたがどこにいるのかわからないから、お子さんがいなくなったと言われても「地の利」なんてないし、だからといって居場所を教えてくれちゃったら色々と危ないし・・・ってなると、まずは最寄りの警察に行くべきだし、施設の管理者や館内放送を使うべきだろう。
それでも見つからなかったら学生なら学校に連絡すればいい。
そうやって近場で動いてみて、どうしてもどうしても見つからない時にネットで聞くっていうのがあるけれども、それは最終手段で、まずは自分の生活圏でそこにいる人に聞くのが一番だと思うんだよな。
ネット社会の弊害よね
これは一種の、ネット社会の弊害なんじゃないかと思う。
わからないことや不安なことがあったら、すぐにネットでつぶやけば親切な人が答えてくれる。
でも、その答えが本当に正しいかなんてわからないし、もしかしたら故意に間違った情報を伝えてくる人もいるかもしれないし、反ワクチンや反医療みたいな感じで、世間一般とはかけ離れた考え方の人の意見の可能性もある。
そういう「数は多いが玉石混交な意見」をもらって、勇気づけられるという面はあるかもしれない。
でもそれが「問題解決」への最短ルートかというと、そうではないんじゃないか?と私は思う。
リアルの人をもっと頼った方が良い
こうやってブログで、ネットの中でなんだかんだとつぶやいたり吠えたりしている私が言うのもなんだけど、もっともっと、私たちは困った時にその場にいる人たちに助けを呼んでいいんじゃないかなと思う。
街中には忙しくて助けを求めても応じてくれない人もいるかもしれない。
でも中には、「お手伝いしましょうか?」と言ってくれる人が必ずいるはずだ。
そうやって近くにいる人の助けをもらわずに、なぜネットのどこの馬の骨だかわからん人に助けてもらおうとするのだろうか?
ネットに出す=リスクでもある
以前、「娘が行方不明になりました」と、フルネームを書き、生牡蠣と一緒に撮った娘さんの顔写真を載せ、いなくなった時の服装などを事細かく書いていた行方不明者の母のTwitterアカウントがあった。
色々と突っ込まれて、いちいちそれに反論して、なんだかんだで娘さんは保護されて、ネット民達に悪態をついてその母親のアカウントはなくなった(と思う)。
こんな風に、自分の知らないところで母が騒いで自分の写真を大公開していたと知ったら、見つかった娘さんはどんな気分になるだろうか?と思う。
お母さんが慌てていたのもわかるが、写真付きのフルネームが、ネットの海のどこかに残ってしまっているというのは、いたたまれない気持ちになる。
そういう事例もあるから、ネットの中で呼び掛けるというのは、極力控えた方がいいと思うのだ。
「どうすればいいですか?」じゃないよ!
あとは、私はこういう「どうすればいいですか?」っていうコメント自体が、どうかと思ってしまう。
「どうすればいいですか?じゃねーんだよ!緊急事態なんだろ?自分の頭で考えろ!」って言いたくなる。
なんでも自分の頭で考えるクセをつけておかないと、いざという時に動けなくなるぞ?と思うのだ。
きっと、そういう人は、「何か」が起こった時もTwitterで「どうすればいいですか?」と聞くのだろうけど、それでまたベストな答えがもらえるかわからないし、騙される可能性だってある。
・・・ということを、「【至急】子供が行方不明になりました。どうすればいいですか?」というのをうっかり見てしまって、バーッと思ったのでした。
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