こんにちは、ドクダミ淑子です。
22時に寝落ちして、1時にうっかり起きてしまい、これを読了しました。
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そして、色々考えていたら、しばらく眠れなくなりました。
どんな内容なの?
公式サイトによると、こんな内容です。
北沢藍は職場の上司と不倫して、二人の子供を置いて家を出た。十年ぶりに実家に戻ると、男にだらしない母と、お金にがめつい祖母がうら寂しく暮らしていた。隣に住む幼馴染の馬場美代子は家族を見送り、今は祖父をひとりで看ている。介護に尽くす彼女は、孝行娘とあがめられているが、介護が終わったその先はどうやって生きていくのだろうか。実は、彼女の暮らす家には、世間を震撼させるおぞましい秘密が隠されていた。
原田ひ香が、満を持して挑む、堕ちていく女の果ての果て。
キーワードは「女」と「貧困」
もう、このキーワードだけで心がギュッとなるんだけど、小説全体を貫くのは、「女」と「貧困」というワード。
まず、主人公の藍は、祖母と母の暮らす実家に色々あって戻って、3人暮らしを始める。
その生活も決して楽しいものじゃなくて、喧嘩が絶えない祖母と母の横で散らかった家を片付けたり、パートでもらった余り物の惣菜をアレンジしたりと働くけど、感謝の「か」の字も感じられない生活。
藍は子供達を義父母と元夫の家に残し、一人で追い出されているのに、不倫相手との関係は切れない。
男にだらしない、自分の母の血をしっかり引いてしまっているのも痛い。
そしてもう1人の主役といってもいい、美代子は美代子で、高校卒業してからずっと祖父の介護をし続けている。
その2人が、美代子の秘密を知ることでどんどん堕ちていく・・・
いや、堕ちていくというか、元々堕ちていたところをさらにどん底を目指していく、みたいなものか。
「貧困」というのは、単にお金がないことなのか、それとも金がないことでプライドすら失われていくことなのか・・・たぶん両方で、それでも生きていくために、彼女らは底なし沼の下まで落ちて、底に足をつけて踏ん張ろうとする。
男は何をしているか
これは、女性が差別されて、男性が優遇されている!みたいな話でもない。
この女達に関わる男もまた、人生を翻弄させられるのだ。
藍から金を揺すられるのは男性だし、物語の中盤から出てくる老人達も女性ではなく、全員が男性。
男性が生きやすくて女性が貧困で生きにくいかというとそうではなく、彼女達を取り巻く環境は女性も男性もクソみたいな人間ばかりなのだ。
この感じがまたリアルで、また怖い。
こんな世界を見ずに生きたいけれども
これを読んでいると、私はいかに恵まれた環境で生きているのだろう、と思う。
それと同時に、なにかがきっかけで「あっち側」に堕ちてしまう可能性も多々あるのかもしれない、と震える。
別の国の話ではなくて、すぐそばにこの闇があるのだ。
そういえば私も、ゴミ屋敷の遺伝子に抗っている。
子どもには幸せになってほしいと思う
ただ、この貧困を、子どもにどうやって見せ、どうやって伝えていくのか・・・ということが、今はとても引っ掛かる。
子どもには幸せに生きてほしいと思いつつも、無邪気に「なにここ!臭~い!」と言い放つような無神経な子にならないでほしいなとも思う私がいる。
だからといって、自分がもらったお年玉をコツコツ貯めて寄付するようなところまで、自己犠牲を払ってほしくもない。
給食費が払えない子、新しい服を買えない子が見えてくる、小学校くらいの時に何をどう伝えるのか・・・今から考えていかなければ、と思う。
まだ2歳だけど。
福祉の仕事について改めて考える
翌日会社に出勤すると、お客様から問い合わせがあった。
「○○市役所の市民なんでも相談センターの相談員募集なんですけど・・・」
まさに、この貧困の問題に真っ正面から向き合う仕事の募集だ。
「生活困窮者の相談に乗り、住居を探したり仕事を探したり、時には生活保護などに繋げる福祉のお仕事です。」
その人達はどれだけ凄惨なものを見ているのだろうか・・・
考え出すと止まらなくなりそうだ。
それは誰の意思なのか
最近は原田ひ香さんの小説をたくさん読んでいたけれども、この本を読んで少し休もうと思った。
いや『東京ロンダリング』の時から、「自己決定」と「見えない誰かのシナリオに乗っている」の差が怖いなと思っていたけれども、今回のこれでさらに怖くなったからだ。
今まで「軽い気持ちで読める」と書いていたあれやこれも、そういえば主人公達は見えない何かに動かされていたのかもしれない・・・そう思い始めた。
人間の怖さを垣間見て、仕事でもタイミングよく「福祉のお仕事」に触れて、少し毒されてしまった気がする。
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