こんにちは、ドクダミ淑子です。
前回は、はあちゅうさんのnoteを読んでの感想を書きました。
書いていて、私自身が子育てをどう考えているか、という考えがムクムクと出てきたので、今回はその話を。
何気ない瞬間こそが、子育てだと思う
はあちゅうさんを見ていると、話題のスポットにお出かけとか、動画になりそうなおふざけをやったり、おもちゃを買い与えることが子育てだと思っているのではないか?と思うことがある。
非日常をどれだけ体験するか?それをどれだけ演出するか?盛れてウケる動画を作れるか・・・みたいな。
地味な日常ではなく、映えて盛れる非日常を追い求めるみたいな。
まぁそれは、SNSを仕事にしていると必須命題になるのかもしれないけど。
でも私は、「子育て」は、そういう動画のネタにならないことの方が重要だと思っている。
毎日、色々とこぼしたり好き嫌いをしながら食べるご飯や、お風呂ではしゃいだり、公園で遊んだり、手を繋いで歩いたり、おしゃべりをしたり、ふいに超かわいい顔でおもちゃを渡してくれたり、なんでだかよくわからないけど私の台詞がツボに入ってゲラゲラ笑いから何度も何度も繰り返したり・・・
うちの子は最近、『いないいないばあっ!』の『ペンギン☆ペンギン』って曲にはまっていて、2人で(主に私が)よく歌っている。
「はやいペンギン」のところを超高速で歌うのがお気に入りで、終わると「もう1回」とばかりに1本指をブンブン振る。
その仕草と笑顔がとってもかわいいから、延々と「はやいペンギン、はやいペンギン、はやいはやいー!うわあぁぁー!」ってやってる。
そういう、動画に撮らないけど、2人で向かい合ってゲラゲラ笑っている瞬間の積み重ねが「子育て」なんだろうなぁと思う。
はあちゅうさんにもそういう瞬間があるのかもしれないし、そういう経験があるかもしれないけれども、「日常の何気ないやりとりを切り取る」っていうのがどうも下手だなぁと思う*1。
だから「普段はお子さんとの関わりが薄いのでは?」なんて思うこともある*2。
ただ、一緒にいるだけでいい
彼女は何か特別な思い出を作って強い印象を与えたいと思っているのかもしれない。
でも、幼児期って、そういうことは本当に必要なのだろうか?と思う。
ただ、手を繋いで一緒に歩いたり、落ち葉を拾ったり石を並べたりする姿を隣で見ていたり、塗り絵を一緒にしたり、絵本を読みながらおしゃべりをしたり・・・そういうことでいいんじゃないかと思う。
その一つ一つは、子どもの記憶には残らないかもしれないけれども、「お母さん(お父さん他)と一緒にいた日々」というざっくりした記憶は残るし、そういう「そばにいてくれる」みたいな安心感が未来の糧になるんじゃないかな。
それをしているのが私の今の子育てだ、と思っている。
退屈な日常を愛すること
前回のブログで最後に『退屈な日常を愛するということ』っていう記事のリンクを貼ったんだけど、1年経っても私の考えの根本は変わらなかった。
どんなに地味でも、映えなくても、写真を撮れるようなものでなくても、地味で変わり映えのない毎日をまずはきちんと過ごすこと。
その中での小さな変化を喜べること。
その上で、時々は非日常を思いっきり楽しむこと。
彼女のSNSを見ていると、普段の生活からにじみ出てくるような「愛」が感じられないのに、「私は息子を愛している」「親バカです」みたいな言葉だけが出てくるから、その言葉がツルツルと上部だけを滑っているように見えてしまうのだ。
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