こんにちは、ドクダミ淑子です。
時々、書店の前を通りかかって、パッと文庫本を買うことがあります。
その日の気分で、びびっときたものを。
そして、それを会社への行き帰りの電車の中で読んだり、寝る前にちょっと読んだりする。
寝る前については、スプラトゥーン3の誘惑に負けがちだけど。
それで、最近買ったのは、こちらの本。
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どこかで発表された、コーヒーがテーマのエッセイをまとめましたって本で、文筆家だけではなく、写真家、哲学者、作曲家と色々な職業の方が、それぞれコーヒーに対する思いや幼少期や若い頃の思い出、現在の出来事などを書いている。
数ページごとに著者がかわり、文体がかわり、テーマが変わるので、短時間の読書にはいいかもしれない。
逆に長時間読むのには向かない。
話者がどんどん変わって頭の回転数がどんどん上がっていく、仕事での説明会とかセミナーみたいな感覚になるから。
まずいコーヒーがあった時代
これに触発されて、私もコーヒーの話をしようかなと思う。
最近はどこでもかしこでも、美味しいコーヒーが飲めるようになったなぁ、と思う。
私がコーヒーを飲み始めたのは高校卒業してからだから、まだ20年行っていないけど、20年前って、もっとコーヒーってまずいものだった気がするんだよな。
それは、私の味覚がまだまだ未熟だったからかもしれないけど。
マックのコーヒーは泥のようで、缶コーヒーは薄くて甘いだけで、就職してからも顧客のところで出されるコーヒーも、時には一口飲んで「これはミルクと砂糖を追加しなければ飲みきれんぞ」と思っていそいそと「私、ミルクと砂糖入れる派でした!うっかり~」みたいな雰囲気を出しながら、ざっと入れてエイヤッと飲む・・・なんてこともあった。
そういえば、大学生の時にバイトしていたファミレスでも「アメリカン」と「深煎りカフェ」っていうのがあって、朝6時に入れたアメリカンを9時くらいに飲んだときにも、その質の低下ぶりに驚いたこともあったな。
でも、8時半くらいまで普通に提供してたしなぁ・・・
とにかく、まずいコーヒーというものが街中には結構あり、「ファストフードのものだから」「ファミレスので出来てから時間が経ったから」「所詮缶コーヒーだし」みたいな感じで、そのまずさも許容されていた時代があったのだ。
大学から少し歩いたところにあったカフェ・ヴェローチェも、薄くてぼんやりした味のコーヒーだった記憶がある。
当時は160円くらいだったし、タバコ吸い放題だったし、皆、いろいろな理由をつけて、ヴェローチェのコーヒーの味に納得していた気がする。
気づけば、美味しいコーヒーばかりの時代に
ところが、今はどうだろうか?
コンビニの110円のコーヒーも美味しいし、マックのコーヒーも美味しい。
スタバやタリーズは深めのガツンとしたドリップコーヒーを出し、ファミレスだってドリンクバーで一杯ずつ出してくれるから、置きっぱなしで酸っぱくなったコーヒーなんて飲む機会がなくなった*1。
カフェ・ヴェローチェだって気づけばコーヒー1杯280円になり、もちろん味は美味しくなった。
そして喫煙所は、よくある小部屋みたいなのになったから、タイミングによっては入店したら白い煙に囲まれた、みたいなことがなくなった。
クライアントのところでコーヒーを出してくれる場合、ドルチェグストみたいなものが多くて、それも美味しい。
最近、アイスコーヒーを出された時以外に、何かを追加することなんてほとんどなくなった。
良い時代になったなぁ・・・と思う一方で、私の懐古厨みたいな部分は「つまらないな」とも思ってしまう。
なんというか、低品質のものを許すみたいな気持ちが、なくなっている気がするのだ。
なんというか、「ダメなものを許す余裕」のなさというか。
最後の砦、ミスド
時々、私のひねくれ心は、「まずいコーヒーが飲みたい」なんて思うことがある。
それでいうと、うちの近くのミスドは時々その要望にかなうことがある。
ミスドのアメリカン。
「ドーナツがメインでコーヒーはおまけだから」「お代わり自由だから」と理由がつき、なおかつ今時珍しくなりつつある、作り置き方式。
レジやドーナツの製造が忙しいとコーヒーはおざなりになり、時には「なつかしのあの味」になっていることがある。
ある日、直行のアポで某駅に降り立ち、待ち合わせの時間までミスドに入った。
ワクワクしながらアメリカンを頼むと出てきたのは・・・普通に美味しいコーヒーだった。
少し残念に思いながらも、美味しいコーヒーを飲んだ。
まぁ、これも悪くない、というかこっちの方が良いに決まっている。
コーヒーを一口飲んで、ふっと息を吐く。
自分の口からコーヒーの香りの息が出て、それと同時に緊張感なのか疲れなのか、何か張りつめたものも一緒に出てきた。
やっぱり、コーヒーって不思議だ。
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*1:私の実家や夫の実家ではしばし古いコーヒーを飲まされる。むしろそこでしか古いコーヒーを飲む機会がなくなったから、時々飲むと懐かしい気持ちになる。