こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、美容院に行ったのですが、美容師さんとヘアアレンジの話になりました。
長い付き合いの美容師さんです
私の担当の美容師さんと出会ったのは、かれこれ8年位前(たぶん)。
元々は、1スタイリストとして勤務していたのですが、独立して個人のサロンを開業しました。
私は引っ越したりして距離が遠くなったので少し足が遠のいたりしていたのですが、なんだかんだで、縁があって再度通い始めました。
ここでも書いたな。
その長い付き合いの間に、私は結婚し出産し、美容師さんも独立して結婚して妊活して娘さんが生まれて・・・とやって、いつの間にか二人とも人生のステージがどんどん変わっていきました。
さて、そんな美容師さんと、話の流れでヘアアレンジの話をしたんですね。
編み込みされるのが嫌いだった
その話は、私が小さい時に編み込みされるのが嫌いだったという話。
先の尖がった「つげぐし」で、頭皮をグッとなぞられて、髪の毛を引っ張られて、ぴっちりと編まれていく・・・のが痛くて嫌だった。
これですね。
しかも、編みあがった後も、なんか髪の毛が引っ張られているような感覚が残るし。
ほどく時の解放感と、ちょっとパーマがかかった感じになるのは好きだったけれども、ほどいたらお風呂に入るからすぐ元に戻るし。
じっと座って、編まれている時間待ち続けているのも嫌だったなぁ・・・
・・・と、嫌だった思い出ばかりをべらべら語っていました。
編み込みの思い出を誰かに話したのは、初めてだったかもしれない。
美容師さんの一言で、見え方が変わる
「まぁ、俺らが子供の時代の編み込みって、そういう感じだったっすよ。ぴっちり、規則正しく編むって感じの」
「今はゆるく編むんですけどね。緩くっつても、締めるところは締めるんスけど」
まぁ、それは分かる。
昔は三つ編みも編み込みも、とにかくぴっちりしていた。
むしろ、「ゆるく」とか「崩して」とか「おくれ毛」とかは、全部「だらしない」という感じだったしな。
「・・・っていうか、編み込みとかしてもらってたんスね」
そう言われて、ハッとした。
たしかにそうだな。
私は自分の子供の頃は、ごちゃっとした環境でごちゃっと育てられたっていう記憶しかないけれども、そうやって、子供だった私をオシャレさせたり、(本人の意には反するものの)可愛いヘアアレンジをさせたりするっていう気持ちがあったんだな・・・としみじみした。
そういえば、「お正月はとびきりのオシャレして」とか、「夏は手作りのワンピースで」とか、「おそろいの服装で」とか、母は母なりに、色々とやっていたんだなぁ・・・と思った。
「まぁ、毎日とかじゃなくて、多分イベントの時とかだったと思いますけど・・・本人(私)は痛くて嫌がっていたので頼んではいないはずですし」
「あはは。でも、ドクダミさん髪多いからなぁ。だから余計大変だったんじゃないスか?」
ああああ、それもあるかもしれない・・・!
大人になって、見えてくることがある
親になって、もしくは大人になって、見えてくるものってあるんだなぁ・・・と最近時々思う。
たとえば、こんなこと。
これ、赤ちゃんだった私がお風呂の中で💩した話とかで、ティーンの時は「うぜぇ」と思っていたけど、親にとっては楽しい楽しい思い出だったんだな…
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) November 25, 2022
ツリーにフォロワーさんの味噌おにぎりの素敵なエピソードがあるので是非読んで欲しいのだけれども、そうやって、子供の頃とは違った世界が見えてくるというのが、立場が変わって、大人になるということなのだなぁ・・・なんて感じる。
いつまでも、子供目線じゃいられない
私がそういう風に、親になったんだなぁ、大人になったんだなぁ・・・と思っているからかもしれないけれども、いつまで経っても(毒親ではなさそうな)親のことをぐじぐり、うだうだ言っている人を見ると、「幼稚だなぁ」と思ってしまう。
しかも、はあちゅうさんは「現在、3歳の息子さんとふたり暮らしをしている」と書かれていますが、なぜか以前お母さんの家にあったトミカタワーやソファや冷蔵庫がインスタの背景に見えたり、以前と比べると雲泥の差・月とすっぽん・クソと味噌くらいの差がある料理の写真をアップしたり・・・と、コナン君だったら「あれれ~?おかしいな~?」と言い出すくらいの、いや小五郎と蘭と園子と刑事達でさえも口をそろえて「おかしいぞ?」と言い出すくらいに、「同居」という2文字が浮かんできます。
もしも料理を作ってもらったり、写真を撮ってもらったり、お子さんの世話を頼んでいたり、預けて寝かしつけまでさせていたりしているのに、それを棚に上げて親のことを悪く言うならば、格好悪いなと思いました。
私も、自分の親に対して色々思うこともあるけれども、大人になってからは「きっとこういう気持ちだったのだろう」と思うことが増えた。
まぁ、自分が規格外だったということが大きいんだろうな、と思う。
だからこそ、いつまでも、自分の子供時代に固執して、自分の親のことを語り、それが自分の「陰キャ」の原因みたいな感じで言うのは良くないと思う。
36歳ってことは、もう人生の約半分は「成人」なわけで。
まぁ、そんなことを、ちょうど自分の編み込みの思い出話と絡ませて書きたくなったのです。
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