こんにちは、ドクダミ淑子です。
昨日はハードでした。
保育園に迎えに行ったのが17:10くらいだったのですが、そこから某スーパーの前に立つマスコットやら、薬局のサトちゃんやらペコちゃんやらカーネルおじさんやらに挨拶をしつつ、ゲームコーナーの太鼓の達人をやりに行き、抱っこしてショートカットしたところを一瞬で走って元の位置に戻られて、1時間40分くらい歩いたのに抱っこもさせたがらずに、帰るよと言ったら「まだ遊ぶ!」と大声で泣き、泣き叫ぶ子を抱えながら帰宅したのが・・・19時すぎ。
そこから猛烈な勢いで夕飯、風呂、寝かしつけをして、そのまま私も疲れて寝落ち。
そして朝になったら、妄想で書いたこのツイートがボヤを起こしていました。
ありえないんですけど…
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) November 27, 2022
知り合いに「稼いでる弁護士」って紹介されて、「独身で友達いなくて寂しがってるから会ってやって」って頼まれたから、試しに高めの店指定したら、顔はそこそこだったけど妙な服で着た上に値段知ったら数秒でゴニョゴニョ言いながら帰った…友達いなさそうな変な奴だったわ。
もちろん、フィクションです
妄想の元ツイートはこちら。
知り合いに紹介されてよくわからん妙齢女子と会うことになり、向こうが指定するカフェに行ったら、数杯飲めるボトルで数万円の珈琲屋さんだったので、数秒で帰ってきた
— 福永活也@ホテル暮らし中 (@fukunagakatsuya) November 27, 2022
何の目的だったんだろうか
ツイッタラー同士が、こうやってお互いの悪口を言っていたら面白いだろうな・・・なんて思って書いて、そのへんの経緯を知らない人から「バカな女さん」みたいな反応もちらほらついているのですが。
こっちは、そんな「婚活同士の腹の探りあい」とか、「奢る奢らない論争」とか、「デートでサイゼはアリorナシ?」みたいなのとか・・・全部どうでも良いんですわ!
・・・というか、40過ぎて初見の異性と会って、年齢だの外見だので相手の品定めして、振る舞いにモヤッとして、それをツイートしちゃうとか、もう「お若いですね(嫌味)」としか言えない。
私がツイートするなら、こんな内容になる。
この前迎えに行った子、「太鼓の達人がしたい」って言ったからそっちの方向へ向かったのに、途中で「ガチャガチャが欲しい」とか言い出すし、家と逆に走り出すし、挙げ句の果てには「疲れたけどまだ帰りたくない」とか言って泣きだしたんだけど。
何の目的だったんだろうか
ええ、子どもに振り回されています。
今1番欲しいのは、普段はガチャガチャのカプセルに収納しておけて、使いたい時にカプセルを開けると大きくなるベビーカー*1。
サイゼのご飯も大賛成・・・だけど、ミートスパゲティを食べさせると口周りと服が大変なことになること間違いなし。
まぁ、とにかく「相手が自分に釣り合っているかどうかを値踏みし合う婚活」みたいなマーケットで戦い続ける、なんてことが「若いなぁ(嫌味)」と思うし、そうやって相手に対する苦情を呟けるのが「自分に自信があるのだなぁ(嫌味)」と思う。
もう、私には無理だからな。
もしも夫と別れたとしても、婚活なんて絶対にしたくないし、相手のスペックだの外見だの年収だのにあれこれ言うのも面倒くさいし、その上で相手に自分を好きになってもらう工夫を凝らすのも面倒くさい(仕事ではそれに似たようなことはやっているけど、だからこそプライベートで同じようなことをしなければいけないなんて、超面倒臭い)。
26歳くらいで夫と出会えて本当によかったと思う。
男性も、40歳を過ぎての婚活は、きっとマッチングする女性も変わってくるのだろう。
「36過ぎて独身の男は何かある」と、かの有名なブロガーで作家のはあちゅうさんも言っていたからな。
フォローしているようで、あんまりフォローになっていない人まで現れるし。
結構前にデート行ったけど普通に西麻布らへんの1人4万円くらいのコース連れてってくれましたよ、花束もくれたし。告白は断ったけど良い人だった、上司だったら良いなって感じ https://t.co/bP1aaxifiZ
— きまぐれちゃん (@kimaguregar) November 29, 2022
・・・インターネットは面白いですね。
相手は鏡なのだ
もちろん例外とかはあると思うけど、自分と出会う相手って、何かしら共通点があり、どこかしらは自分に近い人なのだろうと思う。
仕事でキャリアを積んで行くにつれて「アポの時間に行ったら相手が不在だった(バックレ)」なんてビックリする事はなくなったし、会える人は仕事が出来て、話が早い人が増えていった(その結果、仕事がスムーズになった)。
なので、出会う相手が変な人ばかりなら、きっと自分も「そういうことなのだ」ということを感じる。
いくつになっても「自分」なんて見えないのかもしれない
そうやって相手を自分より「下」と思っていて、「自分の分相応」が見えていないで文句ばかり言っているのは、気の毒にも見えてくるんだけど、人間っていくつになっても「自分の分相応」なんて分からないものなのかもしれない。
いつまで経っても「私はもっと評価されるべき」「私はこんな人とは釣り合わない」と文句を言いつつ、「もっと、もっと」とか「こんなんじゃない」とか思い続けて、そのまま死ぬのかもしれない。
そんなことを、某自称弁護士と某自称インフルエンサーを見ていると思う。
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*1:書いてから「どこでもドアがあれば、どこにいても一瞬で帰れるじゃん」と気づく