こんにちは、ドクダミ淑子です。
子どもと遊んでいると、人類ってすごいなぁ・・・と思うことがあります。
今、うちの子は1歳10ヶ月で、公園に行けば棒を拾って地面に何やらぐしゃぐしゃっとしたものを描き、私にも「描けよ」と渡してきて、線路を描いたら嬉しそうにそれに沿ってタタタターっと走って遊ぶんですわ。
散歩している犬を見たら、超かわいいボイスで「ぁわんわ~ん」って言うから、飼い主さんも時々サービスしてくれる。
この前なんか、公園でわんわんがいたからじーっと見ていたら、おやつをあげる体験までさせていただいた。
猫じゃらしを見ると大興奮して、手に取るとブンブン振り回して大はしゃぎ。
・・・って、こんな状態から20年後くらいには、何かしらの仕事をしたり研究をしたりするようになるんでしょ?
それで、60年くらいはその頭脳を科学の発展やら政治経済の発展やらテクノロジーの発展やら何やらに使って、次の世代にその成果を繋げて行く・・・って言うのをずーっと続けると、馬車や人力車が蒸気機関車になりガソリン自動車になり電気自動車になり、みたいな感じでどんどん進化して行くんですよ。
改めて考えるとすごいなぁ、と思う。
自分も赤ちゃんだったのだ
ここ2年弱(妊娠期間もいれると2年半くらい)、人間の最初の段階を見ているから、そんなことを考えるのかもしれない。
エコー写真の点から、心音が聴こえるようになり、腹を蹴られて出てきて光に反応するだけだったのが、顔もわかるようになって・・・今の「わんわん」まで。
目まぐるしい成長をしているけど、でもまだ子供なのだ。
そして、こんな風に文章を書いたり「人類すごい!」とか思って歴史に思いを馳せている自分自身も、35年くらい前には今の子供みたいな状態だったのだ・・・と思うと、なんだか不思議な気分になる。
そんなこと言ったら、天才と言われる人だって、世界有数の実業家だって、精密な作品を作るアーティストだって、ゲノム解析だの宇宙の秘密だのについて研究している人だって、誰もが皆、猫じゃらし(またはそれに似た類のもの)で爆笑していた時代があるのだ。
「知育」にはあまり興味がないのです
そんなことを考えると、人間スゲーってなるんだけれども、だからといってウチの子のなんらかの能力を花開かせて・・・みたいな方向に行かない自分がいる。
よく、色々なところで言われるけれども、子どもの性格って本当に「ガチャ」だと思う。
親に似ることもあるし、似ないこともある。
何らかの才能がある場合もあるし、特に才能もない場合もある。
なので、「知育」で隠れた才能を引き出していこう!みたいなことをやらなくても、自然と好きなことや興味のあることは出てくるんじゃないかな、と思う。
・・・とか言いながら、私の趣味もあって、絵本がふんだんにある家なんだけれども。
ここに挙げた絵本+ダイソーやメルカリとかで買った絵本+図書館で借りた絵本が常に3冊くらいある。
遊ぶ機会を与えてあげることは必要だと思うけれども、気づいたらお絵描きにハマっていたり、猫じゃらしにハマっていたりするから、その好きなことを楽しんでもらえればそれでいいかな、と思う。
ただし、体力モリモリ問題だけは、親の身体がヤバいかもしれない・・・
これも、「10メートルくらい歩けた!すごい!」からの進歩かと思うと、まぁ喜ばしいことなんだけれどもね。
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