ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「人生全部コンテンツ」の言葉が含む恐ろしさ

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

私の尊敬するブロガーでありエッセイストとして活動されているマダムユキさんが、はあちゅうさんについてこんなブログを書いていました。

flat9.blog.jp

 

そうなんですよね、最近めっきり話題にならず・・・誹謗中傷されて裁判して勝って数万円や十数万円の支払いを命じられてもニュースにもならず。

以前は「イット!」とかで、紫色の髪の毛で出演されていたのに、今やテレビ局もダンマリですよ。

 

そして、有料note終了にVoicyのプレミアムリスナーも終了。

www.dokudamiyoshiko.com

 

今後はプロデュース業に専念するため、とのことですが・・・果たしてそんなにお声がかかるのか。

他人事ながら、同世代のキャリア形成というテーマに敏感な私は色々と心配になっています。

 

 

「人生全部コンテンツ」が面白くない

はあちゅうさんって、少し前までは尖っていて、面白かったんですよね。

意見をいえば、「いやそれは違うだろう」と炎上する。

炎上するってことは、色々な人が意見を言い、Twitterだったらリツイートして、それが拡散されて、擁護の意見が出たり、「はあちゅう、○○発言でまたも批判殺到!炎上!」みたいなニュースになり、イケハヤあたりがズレたフォローなのか火に油を注ぐのかみたいなコメントをし、またそれがで燃える・・・みたいな。

まぁそんな感じで、ある種の盛り上がりがあり、熱狂があった。

 

それが今や、全然面白くないんです。

 

はあちゅうさんが何を言っても燃えもしないし、誰も触れない。

というか、発言自体に面白味がなく、「そのへんの誰か」と同じレベル。

 

まぁ、昔から「そのへんの誰か」だったんだろうけど、今や名実伴った「そのへんの誰か」になってしまったのだな・・・と思う。

 

 

一般人の家族もコンテンツにされる

そんな感じで、「つまんねーな」と思っているのですが、本人は「元祖インフルエンサーとして、20年後も生き残ってやるぜ!」と意気込んでいるようですね。

 

その一環なのか、最近はどんどん「人生全部コンテンツ」を、加速させているように感じます。

 

はあちゅうさんは、ある時から「自分の母の写真を撮っていなかった。思い出に撮らなきゃ」とお母さんの写真を撮り出したそうです。

それは良い心がけだと思うのですが・・・撮った写真はインスタやブログにアップ!

 

・・・やめてやれよ。

 

誹謗中傷騒ぎの時に「家族まで被害が及んだので思いきって訴えることにしました」みたいなこと言ってませんでしたっけ?

思いっきり、「はあちゅうの母親の顔はこれでーす!」って晒しているのは、何とも思わないの?

「危険な行為をする人がおかしい」と思うかもしれないけど、自分がそういう人に遭遇するリスクを高めているんだぞ?と思う。

 

「お母さん、キレイですね」ってコメントがきて、その娘としての自己肯定感も満たされているかもしれないけど、それ、「年の割には」が前に付く褒め言葉ですぞ・・・

その辺にいる、普通の小綺麗なおばあさんですやん。

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「人生全部コンテンツ」の言葉が含む恐ろしさ

こうやってあげていくと「人生全部コンテンツ」っていうのは、恐ろしい言葉だなぁと思う。

 

自分のことだけコンテンツにしていくなら、それはそれでご自由にどうぞなんだけど、人は決して1人で生きているものではないから、コンテンツにする時に当然家族や友達などの周りの人が関わってくる。

自分自身に得意な分野や、趣味などの「発信したいこと」がなければどんどんネタ切れになり、ネタとして友人や家族を使うようにもなってくるだろう。

 

それが、今のはあちゅうさんの状態で。

 

家族に「やめて」と言われたら、どうするつもりなんだろうか?

コンテンツがなくなっちゃうから、無理矢理出し続けるのだろうか?

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順調に「誰かの添え物」になりつつある

はあちゅうさんは、「誰かの添え物になる人生は嫌だ」と事実婚を選択されたとインタビューで答えています。

 

少し前までは、その気持ちで自分のファッション等をインスタにアップして、逆に「ちびけん君をもっと見たいです」みたいな声があったけど、今やもう、息子と旦那頼りになっている。

 

TikTokで旦那さんのダンス動画が話題になったようですが、「AV男優のしみけんがおもろいことしてる」だけで、そこに「はあちゅう」の要素1つもないからな。

「しみけんの動画を編集してアップする人」としてしか認識されない、しみけんの添え物の人生になってない、それ?

正確には添えられてもいない、料理を盛り付けて提供するスタッフとしての人生。

 

 

人生が「コンテンツ」に飲み込まれていく

最近、恐ろしいなと思ったのは、はあちゅうさんの人生そのものがコンテンツに飲み込まれているなぁ、ということです。

 

その例が、こちら。

「チビけん」ですよ!

 

※ちびけんとは、はあちゅうさんの息子君のSNS上の呼び名。

 

お子さんの誕生日ケーキすら、コンテンツ映えを気にしているっていうのが、よくわかりますよね。

 

はあちゅうさんの息子さんは、今まで乱入したインスタライブで自分の名前を言ったりしてしまっていて、それもリスクだなぁと思っていましたが、もしかして息子さん本人にも「ちびけん」と名乗らせようとしている?

 

はあちゅうさん自身は「○○君のお母さん」って言われるとアイデンティティが崩壊しそうなタイプなのに、お子さんには「しみけんの息子」と名乗らせていこうとしているんですかね・・・

 

 

コンテンツに振り回される人生

そんなこんなで「人生全部コンテンツ」を掲げながら、家族をコンテンツにし、コンテンツ映えのために家族をキャラクター化し、読者が喜ぶようなコンテンツを作っていくようになっているのが、今のはあちゅうさんだな、と思うのです。

 

SNSに投稿できるように常に新しい商品を買い、話題のスポットへ行き、写真や動画を撮りまくり、編集して載せて、毎日膨大な数のDMが届き、コメントに一喜一憂して批判されればお気持ち長文を書いて、ネタが切れれば他の人の投稿見て同じ場所へ行き・・・コンテンツを作り続ける。

 

あと20年、同じようなことをやって生き残っていけるのか?

息子君は、親元を離れるまでずっと「ちびけん」として生きていくのか?

 

「人生全部コンテンツ」を掲げてSNSが仕事の人が、アラフォー以降どう歩んでいくのか・・・同世代として最後まで見届けていきたいです。

 

 

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