ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

自分と違う立場の人を思いやる心を持ちたいよね


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

NHK Eテレの『おかあさんといっしょ』に今月の歌というコーナーがあります。

5月は「くだものたろう」で、それはわりと衝撃でブログを書きました。

www.dokudamiyoshiko.com

 

7月は、のりまきペラパリ音頭という、日本の演歌&お祭りミュージック風の曲なのですが、今回のブログで取り上げたいのはその前、6月の月歌。

「おっきなちっちゃな物語」です。

 

 

チーゾウとデカーリのお話

こちらはミュージカル風の歌で、ざっくりとあらすじを書くと、「大きなゾウが小さくなり、小さなアリが大きくなって、立場が逆転したら相手の気持ちがわかって、お互いがお互いのために出来ることをやったらなんだか上手く行ったぜ」という歌です。

うちの子は、アニメーションと歌という組み合わせが好きなのか、とても楽しそうに見ていました。

 

・・・しかし、ひねくれ者の私はこの歌詞にはずっと疑問を抱いていました。

 

「これって、実際に相手の立場になってみないと、相手の気持ちなんてわからないよねって言ってるよなぁ」と。

 

妊婦にならないと妊婦の気持ちはわからない、身体障害者にならないと身体障害者の気持ちはわからない、子どもを産まないと親の気持ちはわからない、セクシャルマイノリティじゃないとセクシャルマイノリティの気持ちはわからない・・・これって、想像力が足りないし、そうやって「私は〇〇じゃないから、わからないな」ってバッサリ切り捨てるのって、分断を呼ぶだけなんだけどな、と思うのです。

私たち人間は、実際にその立場じゃなくても相手の立場を考え、できるだけ気持ちに寄り添っていけるはずなのに、「実際にならなきゃわからんよね」と言うのはちょっと優しくないなぁ・・・と。

 

 

お弁当も作ってみないとわからない?

そんなことを最近になって思い出したきっかけが、このツイート。

 

 

なんか、良い事言っている風なんですけど、心の狭い私なんかは思ったんですよね。

 

「いやいや、1ヶ月食べない弁当を作り続けたら、そりゃ心折れるだろ・・・」

「冷たい母だと?むしろ1ヶ月も続けたなんてすごいでしょ」

「しかも自分は2日で挫折かよ」

「自分でやってやっと気づけた、じゃないよ!やらなくても気づけよ」

 

なんか、想像力が足りな過ぎて、大丈夫か?と思ってしまう。

それで「チーゾウとデカーリかよ!?」と先月の歌で感じていたモヤモヤを思い出したのです。

 

 

自分と違う立場の人を思いやる心を持ちたいよね

ネットの中では、日々色々な人たちの論争が繰り広げられていますが、その中にも私からすれば「想像力が足りないんじゃないの?」と思うことが、結構ある。

 

いやいや、あなたの目線ではそう思うかもしれないけど、こんな人のことを思ってみなよ?あなたが不要だと言ったそれ、そういう人には必要だよ?

・・・そして、そういう「想像力が足りない人」ほど、何も考えずに気軽に発言する。

 

もっと考えて発言すればいいのに、と思うんだけど、そもそも想像力が足りないから、自分と違う立場の人が存在することすら想像できないのかもしれない。

私も時にはそういう「想像力が足りない人」になっているのかもしれないけれども、できるだけ、考えてから発言をしようとは思っている。

自分と違う立場の人をどれくらい慮れるのか、それがつまりは「思いやり」なのだろうと思う。

 

(とか言いつつ、自分の親や姑について愚痴っている前回のブログはこちらです)

 

 

相手の立場に立つと見せかけて自分語りの人には注意したいよね

あともう1つ、こういう問題を見ていて思うのが、「相手の立場に立つと見せかけて、結局自分語りばっかりする人」も要注意だなって思う。

 

たとえば、毒親から逃げ出して結婚して子供が生まれて幸せ!みたいな人に、「私も同じように毒親から逃げ出したのですが、息子が生まれた時にやっぱり孫の顔を見せてあげたいなと思って和解しました。その選択は良かったと思います」みたいなことを言っちゃうとか。

それ、その人にかける言葉として良いものだと思う?

暗に、「あなたも毒親と和解しなさい」みたいに言っているように聞こえない?

もともと「毒親から逃げた」という似た境遇だったかもしれないけれども、その先は全く違う立場かもしれないんだよ?

 

・・・という、「ありがた迷惑」を時々見かける。

面倒くさいのは、その、ありがた迷惑マンは100%「よかれ」と思って言っているんですよね。

私も過去はそうだったけど、今はこうだから!みたいな。

皆が同じ経過をたどると思ったら、大間違いだぞ?

 

一万歩譲ってそういう発言をするにしても、本人にかける言葉じゃねえぞ!と思う。

 

これもまた、想像力が足りないんじゃないか?

 

 

出来る限りの「思いやり」を

そんなことばかり言っていたらキリがない、というのは分かる。

でも、送信ボタンを押す直前まで、もしくは口に出す直前まで、「それは相手を傷つけないか?」という気持ちを持ち続けることが必要だし、最後の最後まで、自分と違う立場の人を想像することが大事だと思う。

 

出来る限りの「思いやり」を。

 

こんなブログを書いている私ですが、日々そんなことを思いながら「公開」のボタンを押しているのです。

 

 

こちらもどうぞ

www.dokudamiyoshiko.com