ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

男尊女卑と女尊男卑の溝は一生埋まらない


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

私は(もしかしたらネカマかもしれないけどとりあえず自己申告では)女で、わりと世の中のあれこれにああだこうだと意見をしたりしなかったりしています。

そうすると、時々、「男と女の扱いの差」というか、端的に言うと「男性差別だー!」みたいな主張をする方と出会うことがあります。

 

 

女は嘘つき、男は誠実?

先日出会ったのが、「女は皆嘘つきだ!」さん。

ネットで炎上している2人の女性を例に挙げて、「女は皆嘘つき」と言ってきたのですが、それはいかがなものなのか?

コロナ禍でキャバクラだの飲み会だの行って、「いやいや私はそんなところに行ってない!」「写真ありますけど」「・・・仕方なくだ、仕方なく!」みたいな男性の政治家、2人くらいいませんでしたっけ?

そうすると男は皆嘘つきになるのだろうか・・・?

 

そんな方にこうお返事をしてみました。

 

「男は攻撃されて、女は攻撃されない」と思う人もいれば、「女だから攻撃されるのに、男は攻撃されない」と思う人もいます。

 

お互い、見えている世界が違って、隣の芝生は青く見えるだけだろうな、と私は思っています。

 

そのお返事は・・・「女だから攻撃されるのにっていうのは、女性の政治家のホニャララ議員が言っていたな。絶対違うけど」みたいな感じ。

あくまでも、「女は嘘つきで、女だから攻撃されると言う人は嘘つき」なのか・・・

男性はどうなのよ、男性は?

 

 

見えている世界が違うのだ

私はこの時も書きましたが、「見えている世界が違う」のだと思いました。

 

「男性は差別されている!」と訴える人からすれば、「いやいや、女性の方が差別されているぞ」と言う人は、「嘘つきだ!そんなわけない」になるのです。

なぜなら、その人にとっては、女性は優遇されているから男性が不遇な目に遭っているように見えるのだから、「女性が差別されているわけがない」となって、「女性差別を訴える人は嘘つき」になるのだ。

 

そして、同じようなことが「女性は差別されていて、男性が優遇されているのだ」と訴える人にも起こっていて、男性が冷遇されていると言う人はその人にとっては「嘘つき」になる。

 

もう、この「私の訴えることが正しくて、逆を言う人は嘘つき」という主張には、着地点がないのだ。

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もしも女性だけの世界や男性だけの世界ができたら

じゃあ、そういう人達が、仮に男性だけまたは女性だけの街を作ってそこに移住したら、「差別だ」と感じることはなくなるのだろうか?

私は、きっと彼ら彼女らの不満は、なくなることはないと思う。

 

男性だけまたは女性だけになっても、そういう風に「差別だ!」と強く思う人はいなくならないんじゃないか?

学歴の違いだの、家がお金持ちかどうかとか、運動神経の良し悪しだの、外見の良し悪しだの、そういう違いを取り上げて「差別だ!」と言うだろう・・・きっと。

 

結局、「私はかわいそうな目に遭っている」という気持ちが出てきた時に、それの原因を「私が〇〇だからに違いない」と、自分ではどうしようもないこと(性別とか出身とか)にしておいた方が、都合が良いのだろうな、と思う。

 

自分と他人の違いが受け入れられない、もっと言うと「自分の良いところ」「自分が得をしていること」もあるはずなのに、それが見えずに「私は冷遇されていて、他の人が優遇されている」としか見えない・・・という人がいるとしたら、それも気の毒だなと思う。

 

 

「私は悪くない」と思うことで楽になる?

中には、そうすることで、自分の心を落ち着けている人もいるかもしれない。

「自分のせいではない、他の人が、環境が悪いのだ」と思うことで、つらい状態が楽になる、ということもあるだろう。

それ自体は否定しないけど、だったらそれは自分の中だけに留めておいて、他人にああだこうだ言ってくるのはやめてほしいなぁと思う。

 

・・・けれども、そんな私の願いとは関係なく、彼ら彼女らは、自分の「敵(とみなす人達)」に向かって日々突撃し意見する、時には攻撃することを繰り返すのだ。

 

 

ミイラ取りがミイラにならないように

これって、「ミイラ取りがミイラになる」ってやつじゃないか?

 

虫が嫌いすぎて、虫を駆除したいがゆえに、庭にある石をわざわざひっくり返してダンゴムシやらミミズやらを見つけて、ウッてなるような感じ。

虫が好きじゃないのに積極的に虫を探しに行って、放っておけば目に触れなかったであろう虫をわざわざ見に行ってしまう・・・みたいな。

 

私は、時々フェミニストに燃やされるアニメやらマンガやら広告やらを見るたびに、そんなことを思ってしまう。

 

「嫌なら見るな」ってそんなに好きな言葉じゃないんだけど、でも時には「あえて見ない」っていうのも大切なんだろうな、と思う。

 

 

嫌なら見るなと、嫌なものに意見する自由の境目は

こうやって色々考えると、「嫌なら見るな」というのはアリだと思うけれども、一方で「嫌なものを見て意見する自由だってあるじゃないか」とも思う。

そのへんを、どうやって線引きすべきなのだろうか?

 

私は、自分自身がそれに触れることで傷ついたり不快になったりと、自分の心を傷つけるなら見ない方が良いと思う。

あとは、自分と反対の意見の人がいるとして、その人が許せないとか、考え方を「矯正」してやろうとか思う時も、ちょっと自分がおかしくなっていると思った方がいい。

「自分が意見するのも自由、相手が違う意見なのも自由」と思えるなら、それは「意見」「ディベート的な意味での議論」におさまるのだと思う。

 

 

男尊女卑と女尊男卑の溝は埋まらない

・・・とまぁ、色々書いてみたのだけれども、「男尊女卑だ!」と言う人と、「女尊男卑だ!」と言う人の溝は、この先ずっと埋まる事はないだろうな、と思う。

できれば、その二者は接点を持つことなく、ずっとパラレルワールドで意見をし続けて欲しいものだと思うんだけれども、きっとそうもいかず、これから先もずっと衝突し続けるんだろうな、と思う。

 

正直なところ、私はその「日本は男尊女卑(女尊男卑)だ!」という論争に巻き込まないでいただきたい、と思っている。

けれども、そういうわけには行かないんだろうな。

「愚かな女性」を取り上げ続ける限り、「ほれ見たことか!女はダメなんだ」みたいな人が、わいてくるのだろう。

 

・・・そういうつもりじゃ、ないんだけどな。

 

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