ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

生活は出来るけれども遊びがない


こんにちは、ドクダミ淑子です。


ワーキングマザーとして、わりとスルッと離陸して、早1ヶ月くらいが過ぎました。


今のところ、わりとスルッと仕事をし、スルッと帰り、スルッと育児モードに切り替えられているのかな、って感じ。
・・・なんだけど、1日が終わるとふと思うことがあります。


「ああ、なんかバタバタしていて、子どもと向き合えなかったな」と。

 


生活はできるけれども、遊びがない

16:30までの時短勤務で働かせてもらって、残業もなくサクッと帰って迎えにいって・・・ってやっているので、世の中の、フルタイムとかでやっているワーキングマザーと比べたら、時間がないってわけじゃないんですよ。
「生活」というところだけで言ったら、余裕で出来ていると思う。
でも、最近は17:15くらいに保育園に迎えに行って、徒歩5分の距離を帰宅・・・する時に、子どもが寄り道をしたがるようになった。
荷物が多ければ「まずはとりあえず家に帰って荷物を置かせてくれ・・・」と言って家に帰るんだけど、そうじゃない時はできるだけ寄り道に付き合うようにしている。
 
そうすると、帰宅が18時くらいになり、子どもからは「ご飯の時間ですけど、まだですか?」とばかりに激しい催促をされる。
「あの・・・あなたが寄り道したがったから、家に帰るのが遅れて何も準備できていないんですけれども・・・」という言い訳は通用しないので、とにかく冷凍したおかずをチンして、炊き立てのご飯を冷まして、ってやって、なんとか7分くらいで準備を終わらせてご飯を食べさせる。
 
その後はバタバタとお風呂、お風呂上がりの色々、寝かしつけ・・・ってなる。
 
そして、多少の言い争いをしながらも、コテンと寝付いた子どもの顔を見て、今日1日を振り返るのだ。
「なんか、遊べなかったな」と。
 
 

私の自己満足なのだろうか

子どもとすれば、保育園でたくさん遊んできているのだろうから、ママと遊べなくても別にいいのだろう。
でも、私の心にはなんだかポッカリと穴が開いたような感じになってしまうのだ。
 
よくよく考えれば、寄り道タイムだって「遊び」だし、お風呂だって一緒に歌ったり水遊びをしたり、色々な合間を縫ってちょっと絵本を読んだりおままごとをしたり、とちょこちょこと遊んでいる。
でも、どうしても育休期間みたいな、向き合って30分とか1時間とか遊んでいた時と比べてしまうのだ。
 
そのへんは完全に、私だけの問題なのか、子どもにとって「ママとの時間が足りない」なのかは、よくわからない。
けれども、多分私の自己満足なんだろうな、と思う。
そう思って、モヤモヤする。
 
 

パパが意識する「遊び」と、私が見ている「生活」

その点、パパも同じような悩みを抱えているようだ。
在宅だけれども残業しまくりパパの場合、もっと接する時間が短いので、時々「子ども成分が不足している!」みたいに叫んでいる。
 
そして、その不足分を補うために、仕事の合間を縫って、ふらりとリビングにやってきて、ひと笑いをゲットして、そして満足そうに戻っていく。
私はその度に「タイミングが悪いなぁ」「今、ご飯食べているのに」などとぶつくさ(心の中で)言っている。
でも、ちょっとそのやり方が羨ましいとも思う。
 
ご飯を食べたりお風呂に入ったり歯を磨いたり・・・と言った「生活」のことなんて考えずに、突然子どもの前に出てきて「遊び」だけ提供するってことが、私にはやりたくても出来ないから。
 
こういうところが、主に育児担当である母(または父)と、サブ担当の父(または母)の違いなんだろうな・・・と思う。
私の「生活は出来るけれども遊びがない」という悩みは、生活をちゃんと回そうとするからこその悩みで、それをパートナーに任せている側は、そんなことを意識せずに「遊び」が出来るのだ。
 
 

共働き家族の宿命な気がする

書けば書くほど「贅沢な悩みだろうな」と思うんだけど、私の中ではちょっとした悩みだし、ずっとモヤモヤしているのだ。
 
こうやって色々書いていると、これってもう、働いていると、平日は仕方がない部分なんだろうな・・・と思う。
時短とはいえ、1日8時間くらいは子どもと離れ離れになる時間があるんだから、ずっと一緒だった時と同じことが出来るわけがないのだから。
ある程度割り切って、平日は生活をしっかり回すことだけ意識して、土日にしっかり遊ぶって感じにするしかないのだろうな。
 
 
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