こんにちは、ドクダミ淑子です。
山本一郎さん(通称:隊長)のこのnoteを読みました。
何度も、読みました。
言っていることは、わかる。
といっても、私は「大変な人」に育てられたわけではないから、本当の本当に「わかった」のかは、わからない。
けれども、「そうだね、大変な人だから大変だよね」で終わらせられない、と思ってしまうのだ。
大変な大人同士がくっつくのは結構なのだが
私が考えてしまうのは、その大変な人同士がくっついて、生まれてくる子供のこと。
大人同士は結構なんですよ、それぞれ責任を持って、大変な人と大変な人がくっつくんだから。
でも、子供はというと、本人の責任も何もないんですわ。
のぶみ氏みたいに、「赤ちゃんはママを選んで生まれてくるんだよ」みたいな考えなら、それも「そんな親を選んだ君が悪い」かもしれないけれども、実際はそうじゃない。
ある日、物心がついたら「両親が普通ではない」ということに気づくのだ。
そこからが、しんどい。
子供が自分の環境を選択することができないのが問題だと思う
大変な大人達がくっつくのは、ある意味「自己責任」なのだと思うのだけれども、子供にはなんの責任もないし、「子供であるあなたが選択した結果」でもなんでもない。
でも、親が大変な人であれば、自動的に「大変な人生」に巻き込まれてしまう。
・・・ここだけは、どうにかならないものなのだろうか?と思う。
大変な大人に囲まれて、自身も大変な人に育っていくケースもあるだろうけど、大変な大人に囲まれて、でも「自分は彼らとは違う」とか「私は普通の人生を歩みたい」と思うような子に、その大変な親から逃げるという選択肢がないのは問題なのではないか。
「たとえどんな人であっても、あなたの親なんだから、あなたは親の保護監督下に置かれるべき」みたいな感じで、よっぽどのことでなければ、「親の元から離れる、もっと言えば逃げる」みたいなことができないのはなぜなのだろう?と思う。
子どもが親から「逃げる」仕組みが見えない
未成年の子が、大変な人達に育てられているけれども「逃げたい」と思った時に、子どもからアクションを起こせることはないのだろうか?
今のところ、子どもからのアクションというと、「SNSで助けを呼ぶ」で、それをやると高確率で変な人、それも犯罪絡みの人に引っ掛かってしまう・・・というのが問題だと思う。
私は仕事で、児童養護施設(昔で言うところの孤児院)に行ったことがあるんだけど、職員さんは皆、本当に子供のことを考えてくれる人ばかりだった。
それは、他人だから、チームで見ているから、などの理由はあるかもしれないけど、それでも「大変な親から大変な目に遭わされている」子供と比べると、ずっとずっと幸せだろうなと思う。
・・・んだけど、子供からそこへ飛び込むルートがあるかというと、多分ない(というか見えない)だろう。
「子作りは自己責任」が嫌だ
Twitterなんかで見る、「自分で選択して子を産んだんだから、それは自己責任」みたいな言葉を、私は嫌だなと思う。
それは、その「自己責任」とやらが、子供にまで降りかかってくるからだ。
「あなたが貧乏な親の元に産まれたのは、あなたの親が子供を作ったから」で、「だからお金が無くて困っているのは知らん、子供よとりあえず頑張って生きろよ」みたいな、何の解決にもならず、親の否定をし、子供自身の存在も否定しかねない言葉。
それが全て「子供を作った親の自己責任」みたいな話で片付けられる。
イカれた人の方が才能があって・・・みたいな話で、そのイカれた人に育てられる子供も「まぁ仕方ないよね、頑張って生きろよ」で済ませているようにも読める文章を読んで、「わかるんだけど、わかるんだけどさぁ、もうちょっと何とかならないものなのだろうか?」と思ってしまう私がいたのです。
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