こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんが、時々「私は子供にイライラしたことがない」と書いたり言ったりしているのに触れることがあります。
「子供のイタズラは、構ってほしいから」だの、「イタズラすることで子供の好奇心が育ってどうのこうの」だの、「私はイライラしないけど、困ったなって思うことはあります」だの・・・
まぁ、かくいう私も、(まだ)1歳児の育児でイライラすることはほとんどありません。
「ゼロ」ってわけではなくて、ご飯をぶん投げてゲラゲラ笑っていたりすると、ちょっとイラッとすることはあるし、生理前はカーッとなることも時々あるけど。
でも、それは自分が穏やかだとか落ち着いているとか、素晴らしい人間だからなんてことはなく、単にこれじゃないの?って思うことがあります。
それは、ブラック企業サバイバーだから。
ブラック企業経験者なのです
ブラック企業と言っても、ブラック企業レベルで言うと、そこまででもないですけどね。
「ククク、奴は四天王でも最弱・・・」くらいのブラック企業ですけど。
ただ、「理不尽」っていうのは、この先一生分くらいは味わったかな。
無茶な要求をしてくるクライアント、こじれにこじれて「じゃあどうしろと?死ねばいいんですか?」と思うようなクレーム、1時間ごとに自分の言うことが変わるのに聞いている私がバカで理解力がないと罵る上司、自分のミスを後輩に押し付ける先輩・・・その他もろもろ。
そういう「理不尽」をシャワーのように浴びた経験があると、もう大抵のことでは驚かないし、心を揺さぶられないし、どうでもよくなるんですわ。
心が穏やかなんじゃなくて、色々なセンサーが死んでいて何も感じない、ただそれだけなのです。
あと、他人に期待しないとかね、これも「他人に期待できない、むしろ期待したら終わる」っていう経験をしたからこそなのかもしれない。
ブラック起業でサバイブしてしまうことの弊害
良くも悪くも、ブラック起業で拒絶反応を示さずにサバイブ(生き抜くこと)できてしまうということは、心の中のどこかの部分が麻痺してしまっているんですわ。
・・・というか、心が麻痺しないと、そんなクソみたいな環境で、クソみたいなクライアントや同僚と共に働き続けることなんて、出来るわけがない。
そうやって私は、良く言えば「穏やかで冷静で少しのことでは動じない人」になったのですが、別にそれは良いことだとは思わないな、やっぱり。
精神的にタフなのは否定しないし、その恩恵にもあずかっている気がするけど、その代わり人間として何か大事なものを失ってしまったような気もする。
理不尽なことに怒りを覚えることとか、自分の心が強く揺さぶられることとか、子ども(もしくは家族)と自分との心の距離がゼロみたいになって一心同体のようになる感覚とか・・・
所詮他人は他人だし、分かり合えないし、自分が怒る事で何か変わるとは思えないし・・・と思ってしまう自分がいる。
はあちゅうさんは、あの電通にいたのは2年弱くらいだそうですから、それは「サバイバー」なのか?というと、よくわかりませんが。
その時点で「普通」ではないのだ
そもそも「普通」って何なんだろう?という話ではありますが、ブラック企業で何年も働き続けられるってだけで、その人は「普通」ではない、と思います。
だって、普通の神経だったら、続かないもの。
どこかイカレているから、続けられるんだもの。
そう思うと、「普通」を捨てた結果、穏やかな育児が出来ている、というのは、別に羨ましくもなんともない話なのにな・・・と私は思います。
あ、今の話、ソースは全部私ね。
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