こんにちは、ドクダミ淑子です。
子どもが保育園に行くようになって、もう2ヶ月が過ぎました。
・・・と言っても、色々なことがあって、「まだ2ヶ月しか経ってないのか!?」と思う気持ちの方が大きいかな。
ほぼ毎日泣きまくっていた最初の1ヶ月。
そこから少しだけ安定してきたと感じた2ヶ月目は、仕事との両立もあって、なんだかいつも試行錯誤の連続だったな・・・
そんな中ですが、いつの間にか子どもは私の見えないところで成長しているんだなと感じた、というお話を。
連絡帳を読んで驚く日々
毎日、連絡帳を読むと驚くんですわ。
「お友達と手を繋いで歩きました」
「お友達と一緒に電車を見ていました」
「お友達が積み木をピアノみたいに弾いているのを見て、ニコニコしながら歩いてきて一緒に踊りました」
何、それ!?
お友達との関り合いが出来るようになっているじゃないか・・・!
私と冬~春ごろに公園で遊んでいた時は、他の子を見ても「警戒!」って感じでフリーズしていたか、「攻撃!」って感じでズンズン迫っていくかのどちらかだったのですが、保育園で毎日お友達とわいわいして、「一緒に遊ぶ」っていうことも覚えたのね・・・
うわぁ・・・それ、見たいっ!
コロナ禍で保育参観がないのが、めちゃくちゃ残念です。
家では甘えっ子全開です
そんな我が子なのですが、家では「保育園での様子はどこへ・・・」っていうくらい、甘えっ子全開です。
いまだに、風呂上がりの一杯(母乳)は欠かさないしな。
まぁ、それも保育園で、一生懸命頑張っているからだろう・・・と、家では甘やかしています。
保育園児の顔
保育園の見学をしまくっていた去年の秋、「本当にうちの子が保育園でちゃんと集団生活出来るか心配で・・・」みたいなことを、先生に対してよく相談していました。
「慣れるから大丈夫」という答えと共に、こんな感じのことも言われたな。
「不思議と『保育園児の顔』になっていくものなのよねぇ」
ああ、わかるわ・・・
ついこの前まで、ギャンギャン泣きながら先生に抱っこされて園へ入っていっていた我が子も、気づけば当然のようにスタスタ歩いて、自分から園に入っていくようになった。
その後ろ姿を見ていると、「ああ、保育園の子になったなぁ・・・」と思う。
・・・んだけど、その前の登園は、めっちゃ泣いてるし、歩くの拒否して「抱っこしろ」って腕をぐいっと引っ張ってきたりしてるけどな。
つまり、保育園に入る直前くらいから急に堂々とし出して、「全然泣いてないっすよ!」となっているだけなんだけどね。
そんな風に気持ちの切り替えが出来るのも、また成長なのかな・・・と思って、ニヤニヤしながらその変化を楽しんでいます。
保育園ではきっと、1ヶ月前までギャンギャン泣いていたのを、なかったことみたいな顔して過ごしているのだろう。
母の知り得ぬ顔
うちは1歳ちょっとで保育園に入ったのですが、もうこの年で「母の知らない顔」があるんだなぁ・・・ということに、なんだか嬉しさと切なさを感じました。
逆に言うと、私の仕事している顔だって、我が子が知らない母の別の顔なんだけどね。
そうやって、お互いが知らない顔があり、知っている顔があり・・・っていうのが、当たり前なんだけど、あるんだなぁ・・・と思う。
というのは、うちの母はわりと過干渉気味で、子どものことは何でも知りたいがゆえに、私の日記やら手紙やらをガンガン読んでいたタイプだから、なおのこと感じるのかもしれないけど。
まぁ、自分が「知らない」とか「把握していない」という事がある、というのは、少し不安にもなるんだけど、そうやって、「家以外の場所」を作っていくのも、成長の過程なのだろうな・・・と思う。
サードプレイスという言葉
話は少し変わるけど、私は結構カフェが好きな人間だと思います。
コーヒーを飲むだけではなく、頭の中を整理したり、心を落ち着かせたり、頭や心を空っぽにして切り替えるために行ったり・・・とにかく、事あるごとにカフェを利用します。
それは、夫と子どもがお昼寝をする、土日の昼のこともあれば、会社の昼休みのこともあります。
今は会社帰りに寄ることはできないけど、昔は家に帰る前にワンクッションおいたりもしていたな。
「サードプレイス」は、スターバックスが提唱した言葉だと思いますが、良く言ったもので、人間はサードプレイスが必要なのだと思う。
めちゃくちゃ、思う。
「サード(3番目)」じゃなくても、普段の自分と、忙しい毎日と距離をおける場所や時間っていうのは、本当に大事だと思うし、子どもでも大人でも、そういう場所を作るってことは大事だろうな・・・と思う。
それが女風バーっていうのは、それはそれでどうなの?と思うけどな。
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