ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「誹謗中傷」の話題に疲れてきた


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

ゴールデンウィークの私は何をしているか?というと、毎日公園に行っています。

いつもの公園(と言っても最近は保育園に入ったので平日昼間に行かなくなった)に加えて、ちょっと遠出しないと行けないけれども大きめの公園に行ったり、毎日天気と相談しながら「じゃあ、今日はあそこ行ってみる?」と夫とアイデアを出し合いながら、楽しくやっています。

行くのは幼児向けの遊具がある公園なので、すべり台乗って、ブランコ乗って、ボールで遊んで、シャボン玉飛ばして・・・とやっていることは大して変わりないですが。

 

さて、そんな中でも、はあちゅう先生のことはそこそこ追いかけているのですが・・・なんか、書きたいことが無くなってきたなぁと思っているのです。

 

 

一周した感がある

2022年5月1日現在、このブログでは、はあちゅうさん関連で書いている記事は、これを含めて93記事あります。

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はあちゅうさんのSNSを読んで思うことはあるのですが、もうだいたい93記事の中のどれかで書いたなってことばかりになってきたのです。

 

ああ、またスクールカーストとか言っているわ、とか。

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お金をかけて誹謗中傷と戦う、繊細だけれども戦いたい女性を演出しているんですね、とか。

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また、ネガティブな意見を「誹謗中傷」って言っているわ、とか。

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まぁ、とにかく「またこれか・・・」と思うことが増えてきた。

きっとこれが、「長くウォッチャーをしている」ということの表れなのだろう、と思う。

他の、ウォッチャーの人もきっとこの「またこれか・・・」を味わっているのだろうな。

 

 

「誹謗中傷」の話題に疲れてきた

あとは、世の中全体の「誹謗中傷を無くそうぜ」という動きと、それに伴う「そもそも誹謗中傷とは?」という考えと、私の考えがなんとも合わないな・・・っていうのにも疲れてきた感もある。

 

「誰がどう言おうと、匿名は悪で、言葉の内容は関係なく誰かの心を傷つけるのは悪だ」というご意見には納得いかないんだけれども、私が納得しようとしまいと、それが全体的な「合意」になりつつあるな、と思う。

たとえ、相手が過敏すぎる人で、ネガティブな意見や批判を「誹謗中傷」と捉えたとしても、それは受け止めた人がそう思うなら「誹謗中傷」なのだ、みたいな感じ。

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「言論の自由」「表現の自由」を主張する人は、「何を言ってもいい・何をやってもいい自由」を主張している人、つまり暴言でも何でも許せと言っている人だと見なされる。

 

そうじゃない、私が言いたいのはこうでああで・・・と説明したいのだけれども、何を言ったとしても、「だからと言って悪口は良くないよね~」で流されてしまう、この「伝わらない」感じ。

 

 

あなたに分かって貰わなくても構わない

そうやって、「批判や皮肉・ネガティブな意見→悪口→侮辱→名誉棄損→誹謗中傷→裁判→損害賠償(または示談金)」みたいに、本当はその一直線にならない枝葉がたくさんあるのに、そこだけ取り上げられて、シンプルに語られる世の中になってきているな、と感じる。

 

そんな空気を感じると、私の中の投げやり君が「はいはい、私は悪者ですよ~」と言って出てきて、また帰っていく。

そして、私の中の一匹狼君が「まぁ、別に誰かに分かってもらいたくて、書いているわけじゃないし」とつぶやく。

 

よく考えれば、そうなんだよな、と思う。

別に、「誹謗中傷は悪だ!ドクダミ淑子は悪人だ!」と誰かに言われようが、そんなこと知らん、って感じなんですよね。

そもそも、「ちょっとでも悪く書かれることは許せない」なんて人と、私が分かり合えるはずがないし。

 

「あなたがそう思うなら、私は悪人なんじゃないですかぁ?別にいいですよ」と思ってしまう。

 

 

それでも、「正義」を語るあの人には違和感を覚える

世の中、「正義vs悪」という超単純な構造で見ると、きっと私みたいに嫌味や皮肉たれたブログなんて書いている人間は「悪」で、書かれている人は「正義」なのだろう、と思う。

別にそれは構わないっちゃ構わないんだけど、でもやっぱり、はあちゅうさんがしおらしい顔をして、「私は被害者なんです・・・」って言うのは、やっぱり違うんじゃないの?と思う自分もいる。

 

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この動画だけを見ると、はあちゅうさんは誹謗中傷に傷つき、莫大なお金をかけても少額の損害賠償しか取れないにも関わらず、社会を良くするために決心した!みたいなとても立派な話に見えます。

まぁ、本人からすればそういうストーリーなのかもしれないけれども。

 

でも、「誹謗中傷だと思われるものを、裁判所に(判断がつかないラインも含め)ある程度の数を持って行って、裁判所に吟味してもらう」って、とてもキレイな言葉で言っているけれども、「誹謗中傷じゃないかもしれないと思うけれどもとりあえず出してみるか」っていう意味じゃん、濫訴じゃないの?と思ってしまう。

 

でも、そう言っても彼ら・彼女らは「それが社会を良くするため」だと信じているし、そういう「手あたり次第は良くないんじゃないの?」みたいな意見すら「誹謗中傷だ!」と思うのだろう。

 

こんな感じで、ずっと議論は平行線なんだろうなと思うし、だから私はなんとなく、「もういいや、議論しなくても」って気持ちになってきてしまっている。

 

私のテンションとは関係なく、はあちゅうさん敗訴の判決はどんどん増えているから、彼ら・彼女らの描く世界はやっぱり、法律の世界とも違うのだろう。

彼らは最後まで「法が現実に追い付いていない」って言い続けるのだろうけど。

 

 

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