こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、とある弁護士さんが「Twitterとかで皮肉言い続けて悦に浸っている人って、性格悪くてキモい」と言いつつ、「実物を見るとやっぱりって感じ」「掃き溜め」などと書いているツイートを見かけました。
要約すると、「皮肉言ったり裁判傍聴している人はキモいから、誹謗中傷をされている人は顔を見れば嫌な感情は減る」という内容ですね。
誹謗中傷する=皮肉を言う/裁判傍聴をする、と繋がっているのがイマイチ意味不明なのですが、それも含めて全体的に意味不明だなと思いました。
仮に、誹謗中傷する人がいたとして、その人の外見が整っておらず「キモい」顔だったら?
・・・普通に考えると、キモい奴にキモいことを言われたとしたら、キモいんですけど。
裁判を傍聴している人の外見が「キモい」顔だったら?
・・・これは特に何とも思わないのですけど。
これを書いた人は、認知が歪んでいるのではないか?と思ってしまいました。
どういう点が歪んでいるのかということを、次以降に書いていきましょう。
ルッキズムに縛られている
まず1つ目。
これを書いた人は、人の価値というものを、「外見が整っているかどうか」に置いているということが読み取れます。
自分にとってダメージのある言葉を投げかけられたとしても、その人の顔がブサイクだったら嫌な気持ちが減る、ということは、外見が整っていない人のことを「下」と見ているんですよね。
ブサイクが何を言っても説得力がないから、ノーダメージ!って考えているということ。
もしかしたら、何か言われて傷ついた時に、「この人はブサイクだから不幸で、満たされない気持ちを誹謗中傷することで晴らしているのだ」と思いこむことで溜飲を下げているのかもしれません。
ブサイク=不幸っていうのが、ウルトラハッピーで自他ともに認めるブスの私には、さっぱりよくわからないんですけどね。
まぁ、20代くらいまでは自分がブスであるということに傷ついたこともあったけど、もうこの年になると、そういうことはどうでもよくなってしまった。
今となっては、「ブス=不幸」だと思ってグチグチ・ウジウジ生きている方が不幸だと思うし、世の中には美人かブスかが重要な世界もあれば、そうではない世界もあるから、ブスで生きづらいと思う人は、後者の世界に行けばいいだけの話だと思う。
ブスが不幸なのではなく、ブスなのに容姿が重視される世界(芸能界やSNSなど)に身を置くことが不幸なのだと思う。
言論の場では外見は一切関係ないよね
話が逸れそうなので、戻して2つ目。
おかしいなと思うのは、言論の場で外見の美醜が何かの加点(もしくは減点)になると思っているということです。
裁判もそうですが、言論の場って、その書いている言葉、発している言葉が全てであって、そこに見た目についてのポイントは加算されないんですよね。
「実名顔出しの方が説得力があって云々」という意見が定期的に流れてきますが、実名顔出しでもトンチンカンな発言はトンチンカンだし、匿名顔出し無しでも納得できる発言はある。
たしかに、モテないブスが「モテ女の作法」とか言い出したら、説得力ないなと思うけれども、そういうジャンルの話ではなければ、全く関係はないと思う。
とにかく、ブスだから性格が悪いとか、逆に美人は性格が悪いとか、だから発言に説得力がある/ないっていうのは、切り離して考えたらいいと思う。
イケメンだからといって発言がキモかったらキモいし、キモい人がキモイ発言をしたらそれもキモい。
言論の場で「容姿」に触れるって、負け惜しみにしか聞こえないんだよな
この話で思い出したことがあります。
少し前に、私に対して「レスバ」を申し込んできた人がいました。
Twitterのタイムライン上では言い合いたくないということで、DMを送ると言われて届いたのは、約1600文字。
このブログ1本分くらいの文字数で、私が「自分の想像で書いていない内容をあたかも私の発言かのように言わないで欲しい」ということに対してのお返事が・・・書かれていませんでした。
書かれていたのは、「私がドクダミに何を言っても負ける」「レスバすることがもはやドクダミのパワハラ」「ドクダミのブログは嫌いだけど、〇〇さんのブログは好き」などといったことでした。
それを読んで、結局何が言いたかったんだ・・・?と一生懸命考えていましたが、最後の方に以下のような趣旨のことが書かれていて、もう考えるのを止めました。
「気持ちが落ち込んだ時には、あなたのブスな顔を想像して気持ちを落ち着かせます」
いや・・・そこを持ちだしたら、言論もレスバも何もないでしょう。
もしも勝ち負けがあるとしたら、反則であなたの負けだし、私は不戦勝ですわ。
言論の場で、相手を言葉で負かそうとしたときに、容姿のことを持ちだしても仕方ない。
容姿のことしか相手にダメージを与えられないと思う時点で、その人は負けだし、負け惜しみにしか聞こえない。
・・・そんなことを、冒頭の弁護士さんの発言で、思い出したのでした。
お前のカーチャン、でーべそ!
言論の場において、容姿に触れて、その美醜でどうのこうのと語ることは、意味がない。
もう、そういう話題を出してきた時点で「お前のカーチャン、でーべそ!」って言いだす子供レベルの存在になるということを、意識して臨んだ方がいいと思う。
よくよく考えたら、自分のカーチャンがでべそだからと言って、何が問題なのだろうか?
カーチャンが、でべそなのにへそ出しルックスで街を練り歩いているなら、ちょっと恥ずかしいと思うかもしれないけれども、そうではなければ何の問題もないし、その子どもに何の関係もないじゃないか。
そのくらい、「容姿」で勝ち負けをつけようという発言は、意味不明だと思った方がいいと思うのよね。
こちらもどうぞ