ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「ママの幸せ」がわからなくなるから、つらいのだ

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

はあちゅうさんがインスタでポエムを発表されて、それをブログにも転載されていました。

 

ameblo.jp

 

それを何度も読んでいて、言いたいことはわかるんだけど、なんか違うんじゃないか?と思ったので、そのモヤモヤを書きながら明らかにしていこうと思います。

 

 

「自分の欲」がわかっている

まず、これを読むと、はあちゅうさんの「ラク(≒理想)」ってこういうことなのか、と言う部分があります。

 

住み込みのベビーシッターさんがいるとか、子連れでパパと子供が別荘に出かけてる間、ママは数日、都内で自由…とか
夜はパパが見てくれるから、夜の飲み会は自由に参加できるってママを羨ましく感じたりも。

 

・・・つまり、「家事やりたくない」「一人になりたい」「子供関係なく自由に行動したい」ですね。

はあちゅうさんは自分の欲がきちんと見えているなぁと思う。

 

この欲は、多くの人が同じように持っているだろう。

ただ、世の中の「育児つらい」ってママ達が、「一人になりたい」と思った時に「じゃあ、ちょっと出かけまーす!」ってなれるかというと、そうではないんじゃないか?と思う。

 

そこに「子供の欲」が関わってくるから。

 

 

子供の欲と自分の欲が対立する時

たとえば、自分は「一人になりたい」と思うけど、子供が「ママと一緒にいたい」と泣く時。

これは子供の欲と自分の欲が対立していますよね。

そうすると、大抵の人は「子供の欲」を優先するでしょう。

それで、子供が嬉しそうにしている顔を見て「これでよかった」と思う。

・・・それを繰り返しているうちに、「子供の欲を満たすことが、自分の幸せ」と感じてしまうようになるんじゃないかな?

子供のためを考えると、自分の欲がどんどん見えなくなってくる・・・というか子供の幸せ=自分の幸せになってくる。

実際はちょっとそこにズレがあったとしても。

 

そういう人は、「自分がしんどいから、一人になりまーす」って思考回路にならないのではないだろうか?

 

ご飯だって、冷凍食品に罪悪感というよりも、「子供が好きなメニューが手料理だから」とか「食品添加物がうんぬん」とかの理由も多そう。

私はインスタで離乳食アカやっているんだけど、相互フォローのママさん達の力の入れようが半端ないんですわ。

砂糖を出来るだけ控えるために、おやつの蒸しパンやクッキーなど手作りしたり、パンを焼いたりとか・・・やりすぎではないかね?と思うこともあるんだけど、それも子供にいいものを食べさせたい!って気持ちからやっている事なんだろうなぁと思いながら眺めている(余談ですが私はベビーフードも市販のお菓子もガンガン使っています)。

これも、「ラクしたい」と「子供の健康」を天秤にかけて、後者を優先しているからなのだろうと思う。

たとえ作るのが大変でも、子供が美味しそうに食べてくれたら、それで自分の苦労も全部チャラになる。

 

そうやって、「子供のため」を優先しているうちに、「それは、自分のためなのか子供のためなのか」の線引きがわからなくなってくるし、「子供が満足なら自分も満足」になるし、「子供の欲を満たすことが自分の欲を満たす」みたいになってくる。

 

・・・というのが、育児を頑張るママ達が、つらくなるところなのかなと思う。

 

 

自分の欲に従え!と言われても難しいのが問題なのよ

私はどちらかというと、はあちゅうさん側の人間で、自分の欲が見えていて、そこにはわりと忠実に従っているんだけど、じゃあ他の人もそうなのか?と言うと、多分違うだろうなと思う。

もっともっと、自分のことなんて考えずに子供を見つめているんだろうなと。

もしくは手がかかりすぎる子供で、そんなこと考えている余裕がないんじゃないかな?と。

私がTwitterやブログで繋がっている方でも、赤ちゃんが全然寝ない子のようで、寝かしつけについてのつぶやきを見ると、つらいだろうなって思うことがある。

 

また、本当に文字通り「ママの幸せが一番!」で、子供をほったらかしている例だってあるんだよな。

ネグレクト、放置子などなど。

そういう人ほど、「ママの幸せが一番!」と真顔で言いながら、子供の幸せなんてあまり考えない。

そういう例もあるから、一概に「ママの幸せが一番」と言われても、すんなり心の中に入ってこないのだ。

 

 

「ママの幸せ」がわからなくなるから、つらいのだ

だから、「ママが幸せでいることが家族の幸せ!家事も育児も手を抜いて、時にはベビーシッター雇って子供から離れて、ママの幸せを満たしましょう!」みたいなのが、頭では理解できているものの、それがスパーンと出来ないってことが、そして「ママの幸せってなんだっけ?」とわからなくなることが、苦しくなる理由なのではないだろうか?

そもそも、そういうことが幸せに感じられないから、実行しようと思えないっていうか。

 

時々、子供を手にかける悲しい事件が起こる中、「なんでそこまで追い詰められたのか?」「助けを呼べなかったのか?」と、外野が言うんだけど、本人的には「今の状態以外の選択肢」ってやつが思いつかないのだと思う。

最後の最後、行き詰まるまで「これが最善の選択」だと思っているんじゃないかな?

 

だから、はあちゅうさんみたいに「家事代行とかベビーシッターって選択肢もあるからやってみて!」ってバーンと提示することもアリだと思うけど、それを実行しようとする思考回路に持っていく(もしくは無理矢理でもやらせる)って工程がないと、その提案は響かないのではないだろうか?と思うのだ。

 

ほんと、ママが幸せなら、家族みんな幸せになるから、自分の幸せを優先させるの、大事です!

 

すっごく良くわかるんだけどね。

 

 

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