こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、「批評とは何か?」なんてことを考えていました。
批評というのは、深掘りし、対象に新たな解釈や視点を加えた上で自分なりの価値評価を下す行為だと私は理解している。
— はあちゅう (@ha_chu) February 2, 2022
なので批評を書くのは労力も時間もかかるし、相手への尊重を忘れてはいけないはずだけど...
匿名でネットに書かれる「批評」はただの悪口や自分を棚にあげた嘲りなんだよな...
きっかけは、このツイートなんだけど、その後『批評の教室』という新書を読むにいたり、それを読みながらもウンウンと考えている。
少し疲れていたから、子どもと夫の昼寝時間にささっと買い物してから昼寝しようと思っていたのに、ついついブックカフェ的なところに行ってしまった。
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) February 5, 2022
最近話題の方だったのと、「批評」について考えていたので、第一章まで読んでしまった。
批評について、興味深い文章があったので、以下に引用。 https://t.co/Ns1SBoLHsH pic.twitter.com/H3eKyt0wD2
「批評とは何か?」については、その本を読み終わってから追ってまとめると思うのですが、今回は「批評がないと、広がらないな」という話を。
ひっそりと発売された文庫版
皆さん、ご存じでしたか?
2022年2月10日に、はあちゅうさんの『仮想人生』の改題『特別な人生を、私にだけ下さい。』が文庫化され、発売されたことを。
え?ご存じない?
はあちゅうさんへの興味関心が足らん!・・・と言いたいところなのですが、まさにそれ!それなんですよ。
全く話題になっていない。
なぜ、話題にならないのか?
SNSで拡散する人がいない
原題の『仮想人生』の発売直後は、Twitterやインスタでこんな書き込みがたくさんあったんですよ。
はあちゅうさんの新刊買いました!表紙を見ているだけでワクワクする❤今から読む~
#仮想人生
こーんな感じの文章と、カフェっぽいテーブルに置かれた本の表紙の写真バーン!みたいな投稿が相次いで、「Twitterで話題みたいなので買いました」みたいな人まで出てきてやっぱり表紙の写真バーン!と投稿され・・・
内容が面白いとかつまらないとかよりも「買いました!今から読みます!」みたいな投稿が多くて、中身はどうなんだ?結局読み終えたのか?とも思ったけれども(「読みやすい」「スラスラ読める」みたいな読みやすさに関する投稿は結構あった)、とにかくネットの一部で話題になったことは間違いありませんでした。
『仮想人生』が発売された2019年1月は、まだ「はあちゅうサロン」が存在していて、サロン生もきっと一生懸命宣伝活動をされていたことでしょう。
その後、よくわからないオジサンばかりが主催者のオンラインサロンと合併し、「はあちゅうサロンから来年(2019年)の4月までにスターを10人出します」という野望は無かったことにされましたが。
ところが、今。
「#特別な人生を私にだけ下さい」でTwitter検索してみると・・・私が見られる範囲では、1件だけしか見られませんでした。
ああ、発売記念祭は行われなかったんですね。
著者本人が「めちゃくちゃ面白いです。」とか書いちゃうという、作家としての禁じ手まで使ってたのに・・・
拡散して、宣伝してくれるファンはいなくなってしまったのでしょうか?
レビューを書く人がいない
そして、Amazonレビュー。
こちらは2022年2月15日15時時点、発売されて5日が経過したAmazonの商品ページですが・・・レビューを書いている人が1人もいません。
それに対して、原題の『仮想人生』の方には、レビューが112件ついています。
星1つも結構多くて、はあちゅうさんはそれについて「誹謗中傷だ」みたいなことを言っていた気がしますが、よく見てみると星5つを付けている人も結構いるんですよね。
当時は、「携帯小説みたいでつまらん」勢と、「読みやすくて面白い」勢が両方いた記憶があります。
まさに、「賛否両論」だったんですよね。
ところが現在は、「否」を唱える人がいなくなったと思ったら、「賛」を唱える人まで消えてしまったのです。
星1つを付けると、「レビューの体裁をとった誹謗中傷」とみなされるのでしょうか?
批評と議論のない作品は、広がりもない
私は、『仮想人生』については、どちらかというとネガティブな感想を抱いていましたが、それを書いて「わかります」「たしかにそうかもしれない」と言う感想をいただけるくらい、「ある程度」の人は読んでいたんですよ。
「ある程度」なのか「ある界隈」なのかは、置いておいて。
それが今や全く話題にもならなければ、「触れる」人もほぼいないっていうね・・・
「誹謗中傷はゼロにするべき」というのは、もちろん賛成ですが、それが行き過ぎると「彼女について言及するのは控えるべき」になってしまう。
それが、今の「なんでもかんでも誹謗中傷で訴えてやる!」な雰囲気の弊害なんだろうな・・・と思う。
タイトルに書いたけれども「批評と議論の無い作品は、広がりもない」のです。
冒頭の新書はまだ読み途中だけど、「批評」っていうのは、著者本人の手から完全に離れ、第三者が分析して意味付けをして・・・っていう行為で、議論というのは第三者同士が持論をぶつけ合う行為だと今のところ理解している。
そんな中で、著者が「この本の意図はこう(解説文)なんです!」「この本はこう読んで欲しい」「面白くないって言わないで欲しい」と、いつまで経っても手を離さずにああだこうだ言うような作品は、第三者が独自の論を出しにくいんですわ。
まぁ、独自の論を出したら訴えられる可能性もあるしな。
だから、著者の手を離れた広がりがない。
でも、それが、著者本人が望んだ世界なんだから、まぁ仕方ないよねと思う。
こちらもどうぞ