こんにちは、ドクダミ淑子です。
うちの子は、よく笑います。
笑顔がとっても可愛いし、キャハっと笑う声も可愛い。
ニコニコしながらこちらにトテトテと歩いてくる姿なんて最高に可愛いし、ゲラゲラと笑いながらこちらに走ってきてドーンと激突するのもビッグバン(宇宙の爆発の方)並みに可愛い。
・・・のですが、それは現在パパとママだけに見せる顔なのです。
外で「あら~可愛いわねぇ」なんて道行く人に言われようものなら、ジト~とした目で見つめる・・・というかガンつけるし、スマホカメラを向けると、それが気にならないくらい興奮している時以外はスンッと冷静な顔になっちゃうし、ジジババとのビデオ通話でもムッとした顔。
私としては、まぁそれも成長の1つよねぇとのんきに構えているのですが。
そんな中、義父母とのビデオ通話で、心のモヤモヤがまるで換気扇を回さずにサンマを焼いたときのようにモクモクと出てきました。
第一声は、「喋ったか?」
我が子は現在、だいたい1歳2ヶ月。
そんな中、義父母とビデオ通話をしたのですが、第一声がこちらでした。
「喋ったか?」
・・・来たな。
っていうかさぁ、この前まで、「歩いたか?」ってしつこかったですよね。
歩いて、歩きが安定してきたら、次はそれですか?
「まだですぅ~」
「え?まだなん?」
「はい、まだですぅ~」
「ママとかパパとか、言わんの?」
「はい、意味は分かっていると思うんですけどねぇ~、ママどこ?って聞くとこっち見るので」
「なんで言わへんのやろ?」
なんで言わへんのか?なんて、私がその理由を答えられると思っていますか?
私の短い堪忍袋の緒は、もはや切れかけていますが・・・
「パパ・ママもわかるし、イチゴやバナナやご飯・お風呂とかの言葉もわかってきているなって感じます。きっと、今言葉をたくさん溜めているところだと思うんですよね。きっと一気に溜めた言葉が出てくるんじゃないかな?と思って・・・ねぇ○○ちゃん!」
言葉は理解しているよ、だからそんなに心配しないでということを伝えようとしたのですが、返ってきたのは、この言葉。
「ママとかパパとか、言わんの?」
「喋らへんのは、子供に話しかけてないからちゃうの?」
はい、ドーン!(爆発)
今の私の話、聞いてました?
モヤモヤが止まらない
もう、何なんですかね?
この何を言っても「喋ったか?」しか言わない感じ。
だから、喋ってないって言ってるじゃん!と言っても「喋ったか?」って。
え?バカなの?死ぬの?
あ、もうすぐ死ぬから死ぬ前に「じいじ」「ばあば」って言って欲しいの?
「濁音の方が、難しいからなぁ」って言っていたしな。
・・・関西人って、こんなにせっかちなの?(偏見)
「歩いたか?」の時も結構しつこくて、こんな感じで「ちゃんと練習させてへんからや」とか言われていたのをさらっと流して、歩いたと思ったら次は「喋ったか?」ですか。
なんだろう、この、子どもの発達を「早く、早く」、と急かされる感じは。
そして、それが「まだ」なのに対して、親の努力が足りないとかいちいち言うのは。
こっちは、のんびりゆっくり、子どもの成長を楽しみたいのよ!
もちろん、喋ったら嬉しいし可愛いだろうけど、今の「あうあう」「はゃ~ん」みたいな言葉で会話するのもめちゃくちゃ楽しいのよ。
「まんまん~」「え?今ママって言った?」「あう~」とかの会話が楽しいのよ。
・・・と言っても、あのせっかちジジババには伝わらないんだろうな。
期待しすぎは良くないと思うのよね
そんなビデオ通話では、子どもがおやつを食べる姿を映していました。
「左手で食べてるわ」
「そうなんですぅ~」
「そうか、左利きか・・・でも、スポーツ選手なら、左利きは有利やっていうしな」
はい、出たー!
1歳バースデーの時にカードで「選び取り」をやったのですが、その時にボールを取ったことで、義母は「孫はスポーツ選手になる」と信じているんです。
やっぱり・・・バカなの?
いや、わかるんですよ。
子供に無限の可能性を感じてしまうのは。
でもさぁ、期待しすぎは良くないと思うのよ。
義父母には身近なところに発達障害の子がいるんだけど、その子に対しても義母は「何か特別な才能があるはず」みたいなことを言っていたしな。
そうやって子供の才能を見つけようとする姿勢は素晴らしいのかもしれないけれども、大抵の場合は余計なお世話というか、本人に負担になるような過剰な期待になっちゃうと思うんだよな・・・と思う。
発達障害=特別な才能がある、みたいなのも、迷惑な話だと思う。
そう、身近に発達障害の子がいるから、発語がないことにも敏感になっているのだろうな、というのもなんとなくわかっている。
でも、その心配を「まだなん?」と関西弁でぶつけられるたびに、私はイラっとするし、ほんのちょっとずつだけど関西弁が嫌いになっていくのだ。
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