こんにちは、ドクダミ淑子です。
時々、Twitterか何かでの、誰かと誰かのやりとりで「逢う」という単語を見かけることがあります。
その瞬間、私は高校時代の古文の先生のことを思い出すのです。
「『逢う』っていうのはねぇ・・・(ニヤニヤ)男女の『逢瀬(おうせ)』のことを言うのよ。逢瀬ってわかる?男女が会うってことなんだけどね、会って何をするのかっていうとね・・・(キャー!)(爆)」
面白い先生だったな
その先生は、「その日学習する範囲のすべての古文を予習時点で品詞分解してきなさい」というわりと大変な予習を課す先生でした。
品詞分解というのは、「私は今日おやつに甘くてふわふわのどらもっちを食べました」を、「私(代名詞)・は(副助詞)・今日(名詞)・おやつ(名詞)・・・」と、分解してどういう品詞なのか、どういう格でどういう活用をしているのかを全て書いてくるという作業で、ざっくり言うとクソ面倒臭いものでした。
まぁそれも、2年近くもやっていると慣れて、いつの間にかスイスイ出来るようになって、いつの間にか古文も読めるようになったんだけどね。
そして、もう忘れたけど。
まぁ、そうやってガンガン予習させて、予習時点で「言語としての分析」を終わらせて、物語の世界や背景を語りまくりたいって先生だったんですよ。
そして、源氏物語で、その古文好き!ロマンス好きを爆発させていました。
・・・面白い先生だったな。
『あさきゆめみし』にハマる女子続出
私の高校は公立の共学でしたが、処女率・童貞率の高そうなメンバーが勢ぞろいのいわゆる進学校。
先生は頑張って・・・なのか何なのか、源氏物語の世界観を滅茶苦茶言葉を選びながら、教えてくれました。
その世界観に・・・処女率の高い女子達はドハマリ。
気づけば、どこかから『あさきゆめみし』が回ってくる、というのが文系女子クラスのあるあるな風景になっていました。
『あさきゆめみし』って読んだことありますか?
源氏物語のマンガ版みたいなものなんですけど、最初に面食らうのは「誰が誰だかわからん!」ってところで、女性達の顔がほぼ一緒なのです。
でもね・・・読んでいるうちに区別がつくようになるのが不思議なところで、そして区別がつくようになる頃にはハマっちゃうんですよね。
その区別っていうのが、「波平は髪の毛が1本、海平は2本」とか、そういうレベル。
・・・という小話は置いておいて、とにかく内容の面白さに魅了されてしまいました。
理系女子の友人は、「古文の先生と女子達でキャッキャウフフしてたのが羨ましかった」なんて言っていたな。
先生の言葉って意外と残ってるものだ
時々、「学校の勉強なんて、大人になってから何の役にも立たない」なんて言われているのを見かけますが、私は先生の言葉って意外と残っているものなんだなぁと思います。
別に全部を覚えているというわけではなくて、1人の先生につき印象的だった言葉が1つずつ、とかその程度だけれども。
でも、1人の人間が学校を卒業してから10年も20年も経っても、先生からの言葉が頭の片隅に残っているってすごいことだと思うし、それが何人にもあるなら、きっと何か意味があるんじゃないかなと思う。
学校の先生に関わらずだけど、過去に聞いた「誰かの言葉」で私という人間は形作られているんだろうな、と思うことが、時々ある。
「逢う」にこっそりニヤニヤしています
話は冒頭に戻って。
私は、「逢う」「逢いたいね」「逢えてよかった」なんて書いていると、勝手に反応して、勝手にニヤニヤしています。
え?「逢う」ってことは、アレっすか?
こんな公衆の面前でそんな破廉恥なこと発表して、大丈夫?
え?男性同士?
既婚者同士?
・・・だからどう、ってことはないんだけどね。
こちらもどうぞ