こんにちは、ドクダミ淑子です。
つかまり立ちをしていた子どもが、次第にスクッと立ち上がり、トテトテと歩くようになってきました。
これを書いている今は、最大20歩くらいは歩くようになっています。
「2、3歩を歩き出したら、その先は早いよ」と色々な人に言われていましたが、まさにその通りで。
歩き出してから2週間くらいで、何かにつまからなくても歩けるようになってきました。
そんな中、歩く練習と日光浴を兼ねて、毎日公園や広場的なところに行っています。
公園でマスクをつける意味なんて本当はないのに
子どもは、私がマスクをつけているのを「変だ」と思うようで、抱っこをしたり座っている私と向き合う時には、全力でマスクをはずしにかかってきます。
マスクの上部をつかみ、ガッと下に持って行き、はずれたマスクをポイっと投げる・・・そんな動きまでできるようになったのか、と感動してしまいます。
何でもかんでも、成長を感じてジーンとなってしまう、1歳児の母(私)。
でも、マスクを捨てられるわけにはいきません。
「お外では大人はマスクを着けるんだよ」と声を掛けつつ、また着けます。
着けても着けても外されるので、誰も周りにいないときには、遊び終わるまで外していることもあります。
そして、帰る時にはしっかり装着します。
そんな私ですが、公園でマスクをつけることに何の意味もないなとも思っています。
他の家族との距離がある状態の風通しの良い屋外では、本来ならマスクは不要です。
でも、なんとなく取れない。
いや、取れないのには理由があります。
「変な人だと思われたくない」からです。
ノーマスク派、変わった人が多すぎなのよ
私の住んでいるエリアでは、ほぼ全員がマスクをつけて歩いています。
公園でも、大人はマスクをつけています。
時々、マスクを着けていない人もいるのですが、なんというか・・・見た感じ「普通ではない」人なんですよね。
「普通ではない」というか、「なんか変わってそうだな」って感じるような人。
それは、三浦瑠麗さん的な「科学的根拠がないから」という理由で「私は必要がない場所では着けません」と言い切っちゃう人もいれば、「マスクは陰謀だ」みたいな科学もクソもないような理由でつけない人もいるんだけど・・・どちらにしても「変わった人」。
私のように、「変な人だと思われたくないから意味がなくてもマスクはとりあえず着けておこう」という考えから、対極にいる人達です。
「意味がないなら(もしくは悪影響があるから)絶対に着けない」っていう明確な意思がある人達。
そして、私はそういう人たちが「ノーマスク」を貫く限りは、意味がない場所でもマスクを着ける派でいるのです。
同調圧力?思考停止?別にそれでいいです
こんなことを書くと、その筋の人達からは、「同調圧力で必要がないとわかっていてもマスクを着けるのは馬鹿げている」とか、「思考停止している」とか言われるのかもしれませんが、私は「別に同調圧力でも思考停止でもいいです」と返事をしたい。
自分にとってどうしても譲れないものだったら、出る杭にでも何でもなるのは厭わないけれども、私にとって「マスクを外す」ということは、そこまで労力をかけて、周りの流れに逆らってでもやりたいことではありません。
むしろ、周りに「ノーマスク派=変わった人」と思われる方が、それを否定する労力がかかるので面倒臭い。
だったら、無駄な労力をかけずに、皆と同じようにしていればいいと思う。
「事情」とか「考え方」とかって、相手の目には見えないんですよね。
どんな事情があろうとも、どんな考えの上でマスクを着けないという結論に至っていても、相手の目には、ただの「マスクを着けない人」にしか映らない。
そして少なくとも今の時代の私の住む地域では、マスクを着けない人=普通じゃない人、なのです。
ノーマスク派がいるから、ノーマスクに出来ない
もしも世の中に「ノーマスク派」なんて人たちがいなければ、私は必要の有り/無しで状況に合わせてマスクを着けたり外したりしていたのになぁ・・・と思います。
ですが、現実にはノーマスク派が存在し、彼らは電車にノーマスクで乗るイベントを開催したりしているのです。
やっぱり、私は「そっち側」の人間だと思われたくはないから、ただそれだけの理由でソーシャルディスタンスありまくりの屋外でもマスクを着けておこうと思うのです。
こちらもどうぞ