ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

Twitterか死か、なんて二択はありえない


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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

友人に、入院病棟もある精神科で働くソーシャルワーカーの子がいます。

私は自分の知らない職業だと、どんな仕事なのか聞きたがる癖があります。

職業病ですね。

その昔、その子に仕事のことを聞いてみた時の話が印象に残っています。

 

 

患者が治療を拒否する中で

「普通の病気だと、『治すために入院しましょう』って言ったら拒否する人って少ないよね。入院して治さなきゃって思うでしょ」

「でも、精神科の場合はそうじゃないことも多くて。入院したがらない。本人もだし、家族が嫌がることもある」

「そんな時に、私みたいなソーシャルワーカーが、入院して適切な治療が出来るように掛け合うんだよね」

 

精神科の場合は、どんなに入院が必要な状況でも、数値とか腫瘍の有無とかそういう「目で見える異常」がないから、本人は「私は正常だ」と思っている。

 

・・・ということを、このブログを読んで思い出しました。

 

私は死にたくありません。(石川優実オフィシャルブログ)

https://ishikawayumi.jp/1122-2/

 

 

Twitterか死か

少し引用してみましょう。

 

これまでの人生で、自分で死のうと思ったことは一度もありませんでした。今でも私は死にたくありません。
死ぬことは怖いです。私は生きていたいです。

しかし、#KuTooの運動を始めてから、死ななければいけないのだろうなと考えることが多くなりました。

Twitterを離れても何も解決しないし、そもそもなぜ私がSNSから離れなければいけないのでしょうか。誰もがSNSを使う権利があるはずです。そう思うと、インターネットを見ないという選択は私に人間としての権利がないと言われているようなものなので、それもまた死んだ方がいいのではないか、と思わせる大きな要素になります。

 

Twitterか死か・・・ってどんな二択やねん!と私は思いますが、彼女にはその二択がリアリティのある、同じ重さの選択肢に思えているんですよね。

これが「正常か?」と聞かれると、私はNOだと思う。

 

 

皆に正しく理解されたいって難しい

石川さんのブログから、私は、とにかく「デマ(と呼ぶレベルなのか疑問だけど)」を広げられることが苦痛で仕方がなくて、そこから死ぬことを考えるに至っているということを読みました。

そして、これまでのそんな経緯を知らずに、ただ攻撃的な口調だけを注意されるのも苦痛だ、と。

 

死にたくなるほどのストレスをそこに感じているということは、彼女は「自分の活動やこれまでの経緯を正確に理解してほしい」っていう気持ちがとても強いんだな、と思いました。

 

でも、その「正しく理解される」っていうのはとても難しいことで。

たしかに石川さんはその攻撃的な口調と喧嘩っ早さとイマイチな論理的思考力から、色々な人にいじられ、標的にされてきたと思います。

ただ、それを差し引いても、「皆に正しく理解される」っていうのは難しいことなのです。

 

なぜなら、多くの人は「経緯」なんて知ろうとしないから。

その瞬間、その1ツイートで感じることが、見た人にとっての「全て」だから。

彼女だけでなく、「ちゃんと私のブログを読んでから文句言ってください」みたいなことを言う人がいるけど、私はそれは無理な話だと思っている。

そんなに丁寧に読んで批判してくる人なんて稀だし、丁寧に読んでくる人ほど批判が核心をついてしまうから、結局嫌がられるだろう。

 

私だって、なるべく様々なものを読んでから書きたいと思っているけど、全てを読むなんて無理だから、結局「一部しか読まずにあれこれ書いている嫌な人」になっているだろう。

 

そして時として人は、「真実」よりも、「私にとって面白いと思う事実」や、「私にとってこうあってほしいと思う事実」に解釈を歪めて考えてしまい、それを「真実」だと思ってしまう。

これは冤罪の原因になったりすることがあるから、本当に恐ろしいと思うけど。

 

そういうことを、「まぁ、そういう風に解釈する人も多少はいるよね」と流せずに、「とにかく誤解を解きたい。私のことを正しく理解していない人をゼロにしたい」と思った瞬間に、人はおかしくなっていくのではないか・・・と、思った。

誹謗中傷と戦うと言って、「カブトガニの裏側みたいな顔」と書いた人を訴えようとしたはあちゅうさんも、しかり。

 

 

Twitterか死か、なんて二択はありえない

石川さんは、その後いろいろあって、Twitterをやめたようですね。

・・・本当に、やめられて良かったと思います。

 

Twitterか死か、なんて二択はありえないから。

Twitterをやめて、死なずに済んで、良かった。

 

ただこれからも彼女は自分のやっていることの「正しさ」を伝えるために、そしてそれを「正しく理解してもらう」ために活動を続けていくのでしょう。

 

また、「ネットか死か」みたいなありえない二択まで突き詰めてしまわぬよう、周りの人達はサポートをしてあげて欲しいなと、ものすごく遠くから、願っています。

願ってるだけじゃダメだって怒られそうだけど。

 

 

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