こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、色々なニュースを見ていると、「いや、それとこれとは別だろう?」と思うことがあります。
孤独な人=無敵の人ではない
そう思ったきっかけは、こちらのブログ。
「自分の死んだ後の世界はどうでもいい」というのと、「どうでもいいから世界をぶっ壊してやるよ」というのは違うという話を読んで、「まぁ・・・そりゃそうだろうな」と思ったのと、同時に「これを繋げて考えて、孤独=無敵の人予備軍みたいに考えちゃう人がいるのか」と思った。
それとこれとは別だろうに・・・
キモイと性差別は別じゃない?
また、先日も書いた「温泉むすめ」の件。
その中で、「温泉むすめの設定に喜ぶキモオタがキモイ」という意見を見かけました。
たしかに、キモオタはキモイですね。
そう思う人もたくさんいると思います。
でも、以下は全く別問題だと思うのです。
- キモオタがキモイ
- 温泉むすめはキモオタに迎合しすぎ
- (微)エロコンテンツは性差別だ
- 性差別が深刻な日本はジェンダーギャップ指数120位
これを全部、ひとつなぎにして、「温泉むすめ=性差別!」とやっちゃっているのが、「フェミニスト」のアカンところだと思うのです。
特に、「キモオタがキモイ」と言いたいところ、それを言うと差し障りが出るから、あれやこれやをくっつけて、「温泉むすめが性差別だ」と言っちゃっているところに、私は違和感を抱くのです。
発言と仕事の実績は別じゃない?
これに関連して、「性差別ダー!」と言い出した「フェミニスト」の女性のことを擁護する発言として、「フェミニストさんはこんな素晴らしい活動をしている人だから、そんなに叩かなくても」的な発言をしている人もいました。
私はこの辺も「別じゃない?」と思っていて。
政治家なんかも、よく不倫や失言で叩かれていますが、「政治家としての仕事をちゃんとしていれば、プライベートの不倫は関係なくない?」と思ってしまう。
逆に「いくら清廉潔白であっても、政治家としての仕事をしていなかったら、それは政治家である意味がなくない?」と。
だから、いくら良い仕事をしていても、それと今回の騒動のような「フェミニストの活動をするために叩く2次元コンテンツを探す」というのは、おかしいと思うし、批判してはいけないものではないと思う。
あと、また温泉むすめの件だけど、18禁絵師が入っていたとかも、「その仕事とこの仕事は関係なくない?」って思ってしまう。
ただ、この辺は線引きが難しいとも思っていて。
いくら「仕事とプライベートは別」「あの仕事とこの仕事は別」だとしても、同じ人から出てくるものなんだから、結局根っこの部分は一緒じゃないか?と言われればそういう面もあって。
いくら谷崎潤一郎が純愛でエロ度0%の小説を書いていようとも、そこには隠し切れない彼の性癖がにじみ出ているのではないか・・・と思ってしまうのだ。
なんでいきなり谷崎が出てきたのか、私もよくわからないけれども。
以前、過去の発言と現在の発言の関連について考えて「根っこがこういう人」ということを考えていたな。
別ジャンルの話は「それとこれとは別」を大事にしながらも、同ジャンルで過去の発言と真逆のことを言っているのはおかしいだろ・・・とそんな線引きをすべきって話でした。
「分けて考える」っていうのは、難しいことなのだろう
なぜそうやって、何でもかんでもまとめて考えてしまいがちなのか?
きっと、「論理的思考」っていうのは、とても難しいことで、強く意識していないとなかなかそれを軸にして考えられないのではないだろうか?
AならばB、BならばC、だったら簡単に「AならばC」とまとめられるけど、世の中のことは大抵そんなにシンプルじゃない。
AならばBのときもあればCになることもあって、Cの場合は時々Dになる可能性がある・・・それを、わかりやすくしたくなって「AならばD」と言いきってしまいたくなるのだ。
特に、普段から難しい話に慣れていない人ほど、こうやって話を単純化して、自分が理解できるような形にしてしまいがちな気がする。
反ワクチンの人や陰謀論者を見ていると。
「それとこれとは別だろう?」「話はそんなに単純ではないぞ」と言い続けること、「分けて考えよう」と意識してみること。
・・・そうやって、無理矢理に話を単純化しないことで、見えてくることもあるんだよな、と思う。
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