こんにちは、ドクダミ淑子です。
気付けば、このブログは約1600記事になりました。
・・・まだ、これで1597記事目なので、正確には「なりました」はウソなんですけどね。
だから一応、「約」をつけているんですけどね。
キリのいい数字で毎回お祝いしているかというと、そんなこともないので、気づいたときに祝っていくスタンスです。
1000日の時は気づいていたので書きました。
時々、「ブログの更新は無理しないで」という言葉をいただくことがあります。
それはありがたいことなんだけれども、多分そういう風に「無理しないで」と言ってくださる方の「文章を書く」という感覚と私のそれとは少し違う気がするのです。
私は、どちらかというと「ブログを書いていない方がしんどくなる」気がします。
気がする、というか実際にブログの更新が滞りがちだった時期の方が、しんどかった。
それは、「机に向かうという時間がある=余裕がある」という意味だと思うけれども、それとは別で私にとっては「書く」という行為が精神の安定に繋がっているような気がするのです。
まぁそんな感じで、1600記事(まだ行っていないけど)。
こうやって、1日1記事を積み重ねていった自分を振り返って、また昔の記事を読み返したりして思うことがあります。
「革命」を起こそうとする人達
なんだか最近、「革命」を起こそうとする人達が、やたらと目につくなぁと思うのです。
私の目につくのは、特に「フェミニズム」界隈の人達なのですが。
女性の権利が、男女平等が、ジェンダーギャップ指数が、女性の政治家の人数が・・・言っていることは正しいんだけど、そんなに血走った目で言われましても・・・と思ってしまう。
彼女らの目指す世界は、男女平等・どんな人でも生きやすい社会を通り越して、女性が生きやすく、男性が生きづらい社会になってしまうのではないか?とまで思ってしまうのです。
なぜ私がそういう、アレルギー反応を起こしてしまうのか?というと、「急激なる革命を可及的速やかに起こす!後のことは知らん」みたいな感じでとにかく「革命を!」となっているからかもしれない。
「これ以上の豊かさはいらない」も、ちょっと違う
逆に、「これ以上の豊かさはいらない」と訴えた高校生の話も話題になりました。
物心ついたころから何不自由ない暮らしが当たり前になっていると、そういう思考になるのかもしれないなぁ。
私は、ファミコンがスーファミになり、64になり・・・switchになったのをリアルタイムで見てきたので、もっと良いものが出てくるのでは?と思うのですが、彼らからすると、「Wiiがswitchになっても、ほぼ変わらなくねー?」なのかもしれません。
でも、やっぱり「より良いモノを求めて変化する」っていう姿勢は止まってはいけないと思うのです。
何事も、「少しずつ変わっていく」のがいいんだろうな
急激な変化を求めると、色々なことに歪みが生まれます。
反発も大きいし、その結果「革命」は失敗に終わる可能性もある。
ある、というか失敗に終わる可能性は高いし、その代償は大きい。
今まさに「フェミニズムって一部の過激な人が・・・」って感じになってしまっていて、これが本当に後世に良い影響をもたらすのだろうか?と思ってしまう。
でも逆に、「ここらへんで変化を止めましょう」というのも違和感がある。
人類は常に、より良いモノを求めて変化し続けていったのだから。
そう考えると、何事も時代に合わせて「少しずつ変わっていく」というのが、いいのだろうなと思う。
気付いたら、お見合い結婚の比率よりも恋愛結婚の方が多くなっているように。
気付いたら大学進学率が上がり、気付いたら共働きの割合が上がっていったように。
・・・それに伴って、女性の賃金が上がっていないのは確かに問題なんだけど。
「大きな変換点」で私たちは疲れている
9.11、東日本大震災、新型コロナウイルス・・・偶然なのか何なのか、10年に1回くらい「大きな変換点」があった。
「大きな変換点」があって、私たちはそれだけで疲れてしまっている気がする。
価値観が大きく変わり、良い/悪いの境界線が大きく変わり、生活様式まで大きく変わった。
そして、そういう大きな変換点には、新興宗教やそれに類するような団体が出てきている。
「放射脳」も「自然派」も、こういう時に元気になっているように見える。
何か大きなことが起こると、それの「反動」も大きくなるのだ。
そんな感じだから、私は先述の革命を起こす人達についても「そんな激しく革命を起こそうとせんでも・・・」と日和見主義者みたいになってしまう。
少しずつ、良い方向に向いていると信じてコツコツやるしかない
・・・とは言っても、私だって「誰もが生きやすい社会」は来てほしいと願っている。
だからどうか、早くそういう社会が来るように、出来るだけソフトランディングをしてほしいのだ。
短期間で一か八かの結果を出すような勝負*1に出るのではなく、時間がかかっても確実に勝てる勝負に持って行ってほしい。
「急がば回れ」こそ、最善だと思うのだ。
話は冒頭に戻って。
ある程度の時間をかけて、コツコツ積み重ねていくことで、このブログと、匿名で活動している私にもある程度「信頼」っていうものが生まれていると思う(というか、思いたい)。
その昔、「Polcaでお小遣い下さい」とか「ネットで稼ぐ!今月の収益は・・・」とか、そういう人たちが沢山いた。
今はほとんどが消えているけど、彼らは「信頼」がない状態で注目されたり誰かからお金をもらうことばかり考えていたから、一瞬で消えてしまったのだと思う。
仮に今の私が、「滅茶苦茶困っているので、お金を恵んでください」なんて言ったら、ある程度の方がカンパしてくれるのではないか?と思っている。
・・・実際どうなるかはわからないし、やらないけど。
そのくらい、「コツコツと積み上げていく信頼」っていうのは大事だと思うのだ。
だから、革命家の方々もぜひ「信頼」を得てほしいのよ。
「信頼」は何で得られるか?
ブレずに貫くこと、そして時間をかけて取り組むことだと思う。
私が観測する範囲だと、ブレブレで、時間が経てば違うことを言う人ばかりなので、ちょっと難しいかもしれないけど。
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*1:伊是名夏子さんが無人駅に突撃したのは、まさにこの「一か八かの結果を出すような勝負」だと私は思っている