こんにちは、ドクダミ淑子です。
少し前に、ファッション誌を買ったんですよ。
InRedって雑誌を。
付録のジャーナルスタンダードのブラックでビッグなトートバッグにつられて買ったんですけどね。
そのバッグの謳い文句に、私のモヤモヤアンテナが立ったのです。
「普段使いにも!推し活にも!」
・・・推し活?
推し活バッグ?
そのバッグは、大きなサイズなので、うちわも入る!ペンライトも入る!と、なぜかアイドル等の追っかけ系に使えることを強調していました。
余談ですが同時期に、同じ宝島社の男性向けファッション誌で、「ガンプラ作りにピッタリ!」なポーチも付録についていましたね。
おいおい、ガンプラが趣味って人口の何%だよ?
なんだろう、この違和感は・・・?
いや、別に、推し活を否定するわけじゃないんですよ。
色々な趣味があって、よいと思う。
私だって、最近ちょっとライブは行けていないけれども、ドエル(L'Arc~en~Cielのファン)の端くれですし。
でも、ファッション誌が「推し活!」「オタ活!」と鼻息荒くなっているのに、私は違和感を抱くのです。
ファッション誌が庶民に寄せてきている
そんな推し活バッグを手に入れ、ついでに付録の雑誌(という認識)をパラパラと開いてみました。
そして、私はまたがっかりしたのです。
「しまむらにユニクロにGUかよ・・・」
いえいえ、しまむらもユニクロもGUも否定するわけじゃありません。
私の服の50%くらいはユニクロ製ですし。
でも、ファッション誌を読んでいる気分の時に、「あの、私のこと忘れていないですよね?っていうかあなたが買う服、だいたい私ですよね?」って、しゃしゃり出てきてほしくないだけなの。
ファッション誌を読んで、「ほうほう、こういうコーディネートがトレンドなのか。それではこのエッセンスを活用して、ユニクロで服を買おうではないか」と自分で考えているのに、そこに「ここに載っている服なんて買えない庶民のあなた、私はここにいますよ?」って声をかけるの野暮じゃないかね?
推し活にしろ、ファストファッションの広告にしろ、ファッション誌が庶民に寄せてきているなぁ・・・と感じてしまうのです。
そしてそれは、私にとってはあまり嬉しくない。
想定年齢ドンピシャなのに冷めてしまった
InRedは、「35歳、ヘルシーに! 美しく!」というキャッチコピーのついた雑誌です。
想定している年齢は35歳、つまり30代~アラフォー初期くらい向けですね。
でも、私はアラサー初期くらいにこれをよく読んでいた記憶があります。
『Sweet』の表紙が梨花さんだったころ、「フェミニンでスイート」なそれよりも、もう少し大人っぽい落ち着いた雰囲気の女性を提案する雑誌・・・という認識でした。
当時もいい年の大人ですけれども、少し自分より「大人」向けの雑誌を読んで、心をワクワクさせたものです。
それなのに・・・
私の見方が変わってしまったのか、それとも雑誌が変わってしまったのか・・・どちらなのかはわかりませんが、私はなんとなくがっかりしたのです。
高嶺の花でいてほしかったな
同じような話を、別の雑誌でも聞いたことがあります。
子供を連れて公園に行くのもハイブランドの服に身を包むような1ヶ月コーディネートを提案していた雑誌が、「今日は牛丼!」でユニクロコーデとか、長い間専属モデルさんがやっていたのに、その辺の「読モあがりのママタレもどき」がモデルになっていてがっかり・・・とか、そんな系統の話を。
うん、わかるわかる。
高嶺の花でいてほしかったんだよ。
高嶺だし高値の、花。
身近で手が届く存在じゃないけれども、憧れながら遠くで見ていたい存在。
推し活をしている自分もいるけど、それとはまた違う世界で「ファッション」を意識する自分でいる場所もあってほしかった。
・・・とはいえ、雑誌も広告収入があるから、ハイブランドだけを並べておくわけにもいかないのでしょう。
久しぶりに『装苑』でも読もうかな。
・・・と思ったら、装苑にはジャニーズやらなんとか坂やらが進出していたとさ。
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