ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

疲れていると、のぶみ論を信じたくなってしまう

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

子どもが寝ない&夜中に目覚める日々が続いています。

わりとタフな方なので、まだまだ「死ぬ・・・」まで行きませんが、「疲れた・・・」は口から自然と出てくるようになりました。

 

そして、疲れていると、なんとなく「のぶみ的発想」に頼りたくなってきてしまうのです。

 

 

全ては、「ママのため」?

のぶみ的発想。

それは、上手く行かないことや悩んでいることを、「それはママ(私)のためなんだよ~」と、「全ては私のプラスになるために物事は動いているのだ」とこじつける発想です。

 

たとえば、病気の子が生まれてきたら「あなたは病気の子という試練に耐えられるから、子どもはあなたを選んだのです」だし、子どもを叩いてしまう親には「子どもは叩いてしまうママを受け入れるために生まれてきたのです」だし、子どもがイタズラしたら「あなたが真面目だからイタズラっ子があなたを開放させるために」だし・・・全てがそんな感じで、ざっくり言うと「子どもはママのために存在している」みたいな論を展開しているのです。

 

 

「なぜ?」「どうして?」に答えがないと

私達は何か困ったことがあると、それを解決させるために「原因」「理由」を考えます。

「子どもが寝ない」「子どもが夜泣きする」に対してもその原因や理由を色々と考えるんですね。

でも、いくら考えても理由なんてわからないことってあるじゃないですか?

いや、「多分これだろうな」「これに違いない」と思うことがあっても、それが本当に正解かなんてわからないのですよ、常に。

 

で、いくら考えても正解がわからない時、人はついつい「自分に都合のよい正解」を立てて、「そうだ、これが正解なのだ」と思い込みたくなるんですよ。

とりあえず「拠り所」が欲しくて。

 

 

のぶみ的発想にツッコミが入る

そんな時に、のぶみ的発想は便利なのです。

 

寝ない!寝ない!どうしても寝ないぞ!なぜだ?わからん!・・・とワアアアっとなっている時に、こんな風にこじつけられたら、なんだか納得してしまいそうになるのです。

「この子が自分の遊びたい欲に忠実でハイテンションで寝ないのは、ママが禁欲的でローテンションだからなのだ」・・・なーんて感じに。

 

でも、私の中の「ドクダミ淑子」はそんな言葉に甘えることを許しません。

 

「ハァ?何言ってんのよ?あんた『育児大変だから~』『疲れた~』『ご褒美~』とか言って毎日のようにおやつ食ってんのに、どこが禁欲的なのよ?今週、どらもっち何個食べた?あとこの前楽天スーパーセールで新しいワンピとスカート買いましたよね?ローテンション?どこが?」

「子育てで疲れているからって、自分の都合の良いように子どもへの見方をねじ曲げるんじゃねーぞ!」

 

そう、自分に都合のよい考えをするということは、子どもへの見方を変えるということでもあります。

子どもはただそこで泣いているだけなのに、その涙に「私のストレスを吸い取って浄化させるために泣いているんだ」とか思い込むと・・・子どもへの対処方法、間違えそうじゃないですか?

通常だったら「泣いているからあやして泣き止ませよう」と思うところを、変な思考回路になると「私のストレスを全部吸い取って浄化してもらうために、もう少し泣いてもらおう」とか、考えたりしませんか?

 

目の前の子どもを見ずに、自分の都合のよい子ども像を見てしまうのです。

 

 

結局あのドタバタは何だったのだろうか

そんなことを考えた時に思い出すのが、少し前の、はあちゅうさんのドタバタを見ていた時。

1歳6ヶ月の息子さんが、なかなか寝ない&夜中に泣きさけんだり早朝に起きてしまうということをブログに書きまくっていた時のことです。

色々とネットで調べたり、コンサルに話を聞いてもらったり、ブログでコメントを募ったりとしていて、「原因は部屋に外からの光が入っているからだ!」と決めつけて、防草シートを窓に貼ろうとしてタクシーで100均まで行くという意味がよくわからない行動を取ったりしていました(しかも行った店に防草シートは置いてなかった)。

 

子どもの様子を細かく見ているわけではない人達から、ああだこうだアドバイスをされて、それを鵜呑みにして、暴走していく・・・

・・・ああ、自分の思い込みを捨てて、子どものことをちゃんと見ないといけないなと悟った瞬間でした。

 

しかも、結局はあちゅうさんは光を完全に遮断できないままだったのに、エアコンを入れたからなのか、自然と夜泣きの時期が過ぎたのか、理由はわかりませんが、いつの間にか夜泣きに悩むことはなくなったようで、気づけば何も書かなくなりました。

・・・なんやねん!?

あんだけグダグダ言っていたんだから、事後報告くらいしなさいよ!

心配してたのに(ファンを通り越してお節介ババア)!

 

 

たまに頼っても、それを拠り所にしないように

のぶみ論の話に戻りましょう。

 

心が弱っている時、考えても考えても答えがでなくて行き詰まっている時、のぶみ論は便利なのです。

一時的にそういう考えで自分を癒すことも、時には必要なのかもしれない。

 

でも、そうやって、いつもいつも「世界は私のために存在している」と考え続けていくことは、とっても危険だと思う。

どんどんモノの見方が歪んでいき、「こうに違いない!」と思い込んで、思い込んだら止まらなくなって、気づいたら自分の世界だけでしか生きられなくなってしまう。

その自分だけの世界には、子どもも含めた家族の姿はどこにもいないのだ。

 

そんな閉じた世界の住人にならないように、のぶみ論にはハマらないように行きたいなと、大変な今だからこそ、改めて思うのです。

 

 

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