こんにちは、ドクダミ淑子です。
久しぶりに(といっても1週間ぶりくらいか?)、はあちゅうさんのブログを見ました。
最近の私は、ウォッチャーらしからぬ体たらくで、ONE PIECEを90冊読み終わってゴールデンカムイを読んでいる状況で、ゴールデンカムイ>>>>>>はあちゅうさんウォッチングになっています。
幸いにして、特に新しいネタはなく、本人は「ぼんやりした日々」を過ごしているようですね。
んで、久しぶりに読んでみて思ったのです。
「なんか・・・面白くないな」
だって、「面白くない」んだもん
人様のブログに「面白くない」なんて言うのは失礼なのかもしれません。
でも、思うことは止められませんし、「感想」を書くのは自由です。
・・・はあちゅうさんの場合、「感想」を書いても訴えてくる可能性はありますが、そうなったら徹底的に戦うつもりです、できれば育休中にお願いしますね。
なぜ、面白くないか?
私には、何も伝わってこなかったからです。
私は、「発見」を求めている
どうして面白くないのか?と考えてみると、1つの結論にたどり着きました。
私は、ブログやネット記事に「新しい視点」「発見」を求めているのです。
芸能人(またはその家族)だったら、「こういう生活しているんだな」とか、「仕事でこういう番組に出て、こういう人と共演しているんだな」とかを垣間見る。
昔、「芸能人ブログって、なんで『スタバでドリンク頼んだらクマのイラスト描いてもらったから、空と一緒に写真撮りました!』だけでPV取れるんだろう?」と不思議に思っていましたが、これも「あの人がスタバに!」「なんだか親近感~」みたいな感じで、読者やファンの心に何らかの感情を残すからなのでしょう。
お料理やグルメブロガーなら美味しい食べ物を見るし、旅行ブログなら旅先の絶景やグルメ、そしてそれを見てその人は何を感じたのか?を読んで、私も「発見」をする。
エッセイを書く人なら、私にはない「視点」を発見する。
そうやって、文章に残された「何か」から、私は考え、発見をし、自分の「糧」にしていくのです。
・・・というのが、件のブログを読んでいても、何も感じられなかった。
それは、私が彼女のことを好意的な目線で見ていないからかもしれないけれども、とにかく、たくさん「プチプラ*1」の買い物をし、たくさんコンビニ等でお菓子を買い、お洋服が楽しい~と言いながら決して個性が光るわけではないコーディネートを載せ、読者からオススメを聞きそのコメントを載せ・・・
おいっ、最後のやつ「インフルエンサー」がやるやつじゃないでしょ?
読者にインフルエンスされてどうするんだ!?
・・・となったのです。
「私らしさ」という沼
彼女はよく、「私らしく」「自分を仕事に」「人生すべてコンテンツ」などと発言をしています。
私が商品になり、私が私のやりたいようにやることが仕事になり、私が私らしく生きることがコンテンツになる・・・と。
でも、その「自分」「私らしさ」って一体何なんだろう?
なんだか、彼女の言う「私」って、中身がないような気がしてならないのです。
「私らしさって何?」
「私らしさっていうのは、自分らしいってことだよ」
「自分らしいって何?」
「だから、私らしいってことだってば」
「じゃあ、『私』って何?」
「目の前にいる、私のことだよ」
「それはわかるんだけど、じゃあ、あなたらしさって何?」
この問答を続ける感じ。
言語化できないけれども、私は私で私を大事に私の考えを大事にして私らしく生きることで・・・と、答えているつもりでちっとも答えになっていないまま、底なし沼に沈んでいくイメージが頭に浮かぶのです。
実際に彼女はよく、「私は時が経てば変わる。考え方も好みも『アップデート』される」なんて趣旨の発言をしています。
そんなことを言ったら、さらに一体何をもって「私らしい」と言うのでしょうか?
それに、ちゃんと考えて生きていたら、そこまで「考え方」って変わらないと思うんだけどな・・・
考え方がコロコロ変わる、そんな人が文章を書いたとして、どこが「私らしく」なるのだろうか?なんて思ってしまう。
いやいや、彼女には、私の濁った眼には見えない「私らしさ」があるのかもしれないけれども。
以前も、「私らしさ」って変な言葉だよね~というブログを書きました。
「私らしさ」を追求した人が、「このブログ、取っ掛かりが全くなくて面白くないな」って思ってしまう状態になるのは、「私らしさ」という実態のない言葉で「私らしさを知ったつもり」になってしまうからなのではないか?と思ったのでした。
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*1:プチプライスの略。安くてかわいいものという意味だが、アラフォーだと「安物買いの銭失い」になるケースも多い