こんにちは、ドクダミ淑子です。
ネットの海を徘徊していると、時々、男はどうの、女はどうの・・・って話題が目に、耳に入ってきます。
それは時に「差別だ!私は差別と闘う!」みたいな強い口調のものもあれば、「いやいや、男のつらさもわかってくれよ」みたいな半分愚痴みたいなものもあるし、「私は現代の日本は○○だと思う」という意見みたいなものもある。
それに目を通して、自分なりにあれこれ考えるのですが、最近ちょっと気になったことがあります。
それは、「女みたいなヒステリー」って言葉。
わざわざ「女みたいな」って言う必要ある?
それは、ちょっとした会話の流れから。
「思い込みが強い人って、一部の女性に見られる」と言う言葉を見かけたんですね。
そこに私のセンサーはピクンと反応してしまいました。
おいおい、思い込みが強い人が「一部の女性に見られる」だと?
思い込みの強い人なんて、男も女もいるけど?
そして、なぜそれを女である私に言う?
「ドクダミさんは違うと思っているからこう言うけど、他の女性の話ですよ、一部の」っていう意味なの?
いやいや、それ聞いて私は「たしかに一部の女性って思い込みが激しいですね」とでも言うと思ったのか?
・・・そう思って、「一部の男性にもそういう人はいる」と返事してみました。
すると、「たしかにそうですね。男性でもヒステリックな女みたいな人がいますね」と返ってきました。
おいおいおいおい・・・
男を下げるために女を引き合いに出さなくても
その方は、最初からある男性のことを書くことを想定してコメントを書いていたようです。
女性を下げつつ、「そんな女性みたいな男性もいますよね、たとえばあの人とか・・・」みたいな書き方をして、その男性を登場させるっていう流れ。
いや、わかるんだけどさ・・・そこで敢えて、女性を下げる必要ある?
ある人のことを指摘したいなら、その人だけを出せばいいのに、最初に「思い込みの激しい一部の女性」を出す意味ある?
それから「ヒステリックな女みたいな」とか言う必要ある?
ないでしょ?
・・・と言いたかったのですが、そんなことを言えば「ドクダミさんもヒステリックな女ですね」とか返されそうだから、ぐっとこらえておきました。
もしかしたら、その人は、「男のくせに女みたいなヒステリー」という言葉を、「女性ならヒステリーでも許されるけど、男性は許されない」みたいな、女性に優しい俺という意味で言ったのかもしれませんね。
でも、私はそれもちょっと首をかしげる。
男であろうと女であろうと、ヒステリーな人が近くにいたら、ちょっと困るし、それは性別で許れる/許されないって問題ではないだろう。
男も女もステレオタイプで語る人が嫌い
もちろん、性別によって育った環境も違うだろうし、まだまだ男女平等と言いながらも様々な違いがある。
男性からすれば「女はずるい」って思うこともあれば、女性からして「男はずるい」って思うこともあるだろう。
でも、そうやって片方のことを「ずるい、ずるい」と言って「どっちがずるいか合戦」なんてしても、意味がないと思うのだ。
勝っても負けても、その先がないから。
男もいろいろ、女もいろいろ
私は、色々な問題を語るときに、「女はこうだ」「男はこうだ」とステレオタイプで語ることが良くないと思うのです。
男だって、女だって、いろいろな人がいる。
仕事をしたい人もいればシュフになりたい人もいるし、苗字を夫(妻)と同じにしたい人も同じにしたくない人もいるのだ。
そういう、男女関係なく「色々な人が、色々な考えのもとで、それぞれが幸せに生きられるように」と考えた方がいいし、一つの問題を語るときに「それは本当に男(女)だからそういう問題が起きているのか?」と最初に考えることは大切だと思う。
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