ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

愛とはきっと、思い込み

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

先日、こんなツイートをしました。

 

 

愛とは一体、何なのか?

 

 

身体の繋がりだけが愛ではない

私はああいう風に書いているものの、別に「身体的接触があるから愛がある」というわけではないと思う。

 

遠距離恋愛や単身赴任みたいに、物理的に触れることができない距離にいる場合もある。

セックスレスの夫婦だってたくさんいるけれども、全員が愛がないってわけではないと思う。

逆に、愛なんかなくても、セックスできる人たちもいる。

 

・・・じゃあ、何をもって「愛」なのだろうか。

 

 

愛とはきっと、思い込み

あれこれ考えていたけれども、やっぱり「愛とは何か」なんて、わからない。

 

人それぞれ?

・・・それを言ったら終わりだから、その都合のいい言葉を使わずに考えたい。

 

となると、愛ってきっと「思い込み」なのだと思う。

私が相手を愛しているという、思い込み。

相手も私を愛しているはずだという、思い込み。

そうやって、「相思相愛なのだ」と思い込むことが、愛なのだろう。

 

片方が「相思相愛だ」と思い込んでいて、もう片方が「相手は自分のことを好きだけど、自分は好きではない」っていう場合はそこには愛はないんだけど、その「好きではない」って人が嘘でも「好きだよ」と言っておけば、そこに愛はある・・・ということになる。

相手の本当の気持ちなんてわからないから、お互いに「そうであろう、いや、そうあって欲しい」と思い込んでいるのだ。

 

そして、お互いの気持ちを確かめあうかのように、記念日を祝ったりイベントをしたりしながら、日々を積み重ねていく。

そうしているうちに、「そうであるはずだ」と不安を持ちながらも思い込み続けてきたことの「不安」が取れていく。

「これは私だけの思い込みなのではないか?」という気持ちが完全になくなって、「相思相愛である」と思えるまで・・・きっと、ある程度の時間がかかるはずだ。

その時間がどのくらいなのか?カップルによってそれぞれなんだろうけど。

 

 

思い込みだけで終わらせないための、結婚

愛は、思い込み。

でも、「片一方の思い込みではない」ということを証明するために、結婚という形をとるのだろう。

「紙切れ1枚」と言われることもあるけれども、その紙切れ1枚で、「私たちはお互いを愛しています」ということを役所に、そして国に申告することができる。

親戚や友人や職場の人を招いて、愛を神(など)に誓う、結婚式をする。

だから多くの人は、結婚という形をとっておきたいのだろう。

それ以外にもメリットはあるけど。

 

そう考えると、事実婚をしている人は、その「双方の気持ちをとりあえず形にしておこう」っていうある意味簡単な手続きを取らずに、それぞれの方法で愛の形を作っているということも言えるだろう。

「普通の結婚」をしている身としては、シンプルにそれはすごいなと思う。

 

さすがに、「事実婚だから、いつ家出してもいいよね」なんてノリでいる人はいないと思いたいけど。

 

 

思い込みという魔法が切れそうな時は

冒頭の話に戻ると、「スキンシップが足りない」と泣く人は、きっと不安なのだろう。

「自分だけが相思相愛だと思い込んでいるのでは?」「相手がどう考えているのだろうかがよくわからない」と不安になっている・・・だから、スキンシップでその不安を埋めようとしているのではないだろうか。

残念ながら、スキンシップ=愛と思えるような職業の人ではないんだけど。

 

 

何年同棲していても、子どもが生まれても、消えない不安。

思い込みのパワーだけでも、その不安を埋めきれない。

・・・シンプルに「しんどいな」と思う。

 

夫との関係に安心しきっている私だけど、もしもそんな「相手が自分のことを愛しているのかという不安がいつまでも払拭できない」ようなパートナーを選んでしまったら、一体どうやって生きていくのだろうか?

 

そんなことを今日も、子どもとお昼寝をしながら、布団の中で考えている。

 

 

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