こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、久しぶりに生理がやってきました。
※妊娠すると生理は止まり、出産後は子宮の回復後に再開します。授乳中の場合は再開がさらに少し遅れるらしい(個人差あり)。
1年以上ぶりに再開したそれに、戸棚から袋に入ったナプキンを取り出し、開封しました。
私の愛用しているのは、センターイン。
その昔は、その名の通りセンターが「ここにっ!吸収っ!しますっ!」とばかりに何重にもなった四角い吸収素材がインされていて、その気概に惚れてずっと使い続けています。
今は少しだけその「センターにインします!」アピールは薄らいでいますが、それでもやっぱり名前に信頼を置いてしまう。
「絶対漏らさない宣言」のオムツ使っているのも、その高らかな宣言を信じてみようと思ったから。
さて、そんな風に久しぶりにナプキンを取り出し、部屋に残した子どもが暴走するまでに戻らなければなりません。
出来るだけ短時間で装着しなければ・・・!
そんな時、ナプキンにプリントされたハートの模様が目につきました。
おっ、こっちが前か!
ナイス!
ハートが逆さまにならないようにナプキンを付け、私はトイレを出て子どものいるリビングに戻りました。
そうか・・・ハート柄は前後がわかりやすくなるようについているんだな。
今まで、そんなことに気づかず羽根の位置で判断してたわ。
ナプキンのパッケージ問題に気づくためには
そういえば、ナプキンのパッケージの柄とか色ががしばしば話題になりますね。
女性らしさ=ピンクとか、花とかハートとか・・・そういうイメージを押し付けられている気がする、みたいなことが。
半分はそういう「女性は花が好きだ」とかのイメージもあるけど、もう半分はデザインと機能(前後がわかる)を掛け合わせて考えられているのだろうと思うのだけれど。
なるべく速く付けなければ、装着しなければ、と考えている時って、そういう「女性のイメージがどうのこうの」といったことってあまり考えないんだなと思ったのです。
そういうことを考えることができるって、時間も頭の要領も余裕がある・・・乱暴な言い方をすれば「暇がある」んだな、と。
ドラッグストアに駆け込んで、わき目もふらずに買い慣れたメーカーか、もしくは特売になっているナプキンをぐわしっと掴んでかごに入れ、そしてレジに向かう・・・なんてしていたら、ナプキンのパッケージがどうしてこんなに花やハートが飛び散っているんだろう?誰がこんなパッケージを作るんだろう?なんてことも考えないのです。
時間の余裕が社会を変える
暇なのが悪いということではありません。
ナプキンの花柄について考えられる人がいるからこそ、この社会はより良くなっていくのだと思うのです。
そして、ナプキンの花柄のことを考える余裕がない女性は、何も考えずに買って手にとって使って、ある日ふと気づくのです。
「あれ?そういえば昔のナプキンって花柄とかピンクのパッケージだったよな」「よくよく考えたら、花柄とかピンクとかである必要もなかったよな」と。
私は、どちらかというと「そういうものだ」と受け入れてしまうタイプで、決められたルールの中で戦おうと考えてしまうタイプ。
だから、「これはおかしい」「これは差別ではないか?」と気づくセンサーが弱いのでしょう。
だから、「おかしい」と気づいて声を上げてくれる存在はありがたいのです。
きっと、この世の中には、ある事象について、気にする人と気にしない人と、気にし過ぎる人と気にしなさ過ぎる人がいるのでしょう。
そして、その中で気にする人たちが声を上げていって、世の中が(時には)変わっていく。
それぞれが気になるポイントが違うから、結果的に色々なことが注目されていく。
それは、よいことじゃないか。
ただ、それを「私達だけではなく、女性なら全員この問題に立ち向かうべき!」と言われてしまうと、困ってしまうんだけど。
それが暴走すると、「私の戦いは女性全員の戦いだから、傍観しているのも悪!」みたいになってしまう。
上がる声が増える予感
これからどんどん「気づく人の声」が大きくなる気がする。
ネットで誰もが声を上げることが出来る時代、共感する人が多ければその声が増幅されて・・・ってなっていくのだろう。
その声が「少ない人が大きな声で叫んでいるだけ」なのか、「多くの人が小さな声でも言っている」のか、果たしてそれはただのイチャモンでないかは、精査する必要はあると思うけど、いずれにしても「気づく」「声を上げる」人がたくさん出てくるのは、悪いことではないと思うのです。
こちらもどうぞ