こんにちは、ドクダミ淑子です。
道端で、私の後ろにベビーカーを押した女性と、その友人らしき女性が歩いていました。
どういう話の流れなのかはわかりませんが、こんな話をしていたんですね。
「私は嫌な人と距離置いたことで幸福度があがった」
「嫌な人と我慢して一緒にいるか、距離を置いてぼっちでも楽しむか、どっちの人生を取るかだよね」
「私はそういうことを学校で学んだわ」
ああ・・・わかる。
人間関係のいざこざは無くならない
時々、「いじめの原因になるから、あだ名で呼ぶのはやめよう」みたいなムーブメントが起こります。
でも、どんなに対策をしても、グループに入る入らないとか、誰かと仲が良い悪いいとかは、ゼロにならないと思うのです。
多感な時期の人間を集めて、1つの部屋で1日の大半を過ごすという学校が無くならない限り。
仲の悪い人との付き合い方こそ大事よね
その中で、学校で学ぶべきなのは、仲の良い子との付き合い方ではなく、仲が悪い人や良くも悪くもない人との付き合い方だと思うのです。
なんとなく「みんな仲良しにならなくてはいけない」と思うかもしれないけど、別に仲良くならなくてもいいんじゃないかしら?
人間なんだから、気が合わない人がいるのも当然で。
気が合う子と仲良くなる方法なんて簡単で、放っておいてもそんなのは身に付くわけで。
それよりも、仲が悪くても気が合わなくても、戦争しないで上手くやっていく方法を学ぶ方が大事だと思う。
それって、大人になってからも役立つから。
冒頭に出てきた女性は、その中で、「嫌な人との(距離を置くという)付き合い方」を身につけたってことだろう。
自分がハブられていると気づいたら
以前、思い立ってこんなツイートをしたことがありました。
もし、自分がある集団から避けられたり仲間外れにされたり陰口を叩かれているなと思った時、することは、先生に言いつける事でも、集団を壊す事でも、内緒で開催された集まりに乱入する事でもない。そっちを見ないようにして、距離を置く。
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) January 13, 2021
子供時代からそういう経験を積み、人間関係の築き方を学ぶ→
もし、自分がある集団から避けられたり仲間外れにされたり陰口を叩かれているなと思った時、することは、先生に言いつける事でも、集団を壊す事でも、内緒で開催された集まりに乱入する事でもない。そっちを見ないようにして、距離を置く。
子供時代からそういう経験を積み、人間関係の築き方を学ぶものだと思うんだけど、大人になってからも、これができない人がいるなと思う今日この頃。自分は嫌われているんだと悟る、ならば違う世界や違う人間関係で生きていこうと決める。
それが出来なくて、「私と遊んでくれないなんておかしい!」と叫び続けている人、どんなに叫んでも、振り向かれないよ
きっかけは某インフルエンサーと某弁護士だったと思うのですが、この人達って、「自分が避けられている」とか「他の人から嫌われている」っていう状態に耐えられないんじゃないかしら?と思ったのです。
全員から好かれたくて、1人からも悪く思われたくなくて、とにかく100%の称賛と承認を求めている・・・そんな風に見えたのです。
もしも、そういう「万人に好かれたい」願望があるなら、それは不可能なんですよね。
不可能だから、追い求めると苦しくなる。
自分が嫌われていると感じたら、スッと消える・・・
「自分の方は好意を持っている人から避けられると凹む」というコメントもいただき、 実際にそうなると苦しいだろうなということもわかる。
けど、必死に「挽回しよう」「好かれるように努力しよう」「嫌われているかわからないから確かめるために連絡してみよう」ってやればやるほど、もっと苦しくなるんだよ。
だから、自分を守るためにもスッと身を引くことが有効な時もあるんだ。
私はそんな風に生きてきたな、と冒頭の女性の会話から、改めて思ったのでした。
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